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村上 徹

翡翠探し

いつの頃からか、若者たちが「自分らしく」ありたいと主張し始めるようになりました。 就活の場面では、それが最も重要な判断要素となるようで、「自分らしく」あり続けることが難しいと感じた会社は、どんなに給料が高くても選択肢から外されてしまいます。 でも、不思議なことに「自分らしく」とは具体的にどういうことか尋ねても、明確な答えは返ってきません。 では、「自分」に何ができるのかと聞いても、やはり答えは返ってきません。 それでも、若者たちは「自分らしく」ありたいと願うのです。 それなら、「自分」と「他人」はどう違うのか、「自分」に出来て「他人」に出来ないことは何なのか聞いても、答えは決…

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世間的には「偉人」でも(2)

森鴎外は、絶対に自分の誤りを認めなかったという点で、野口英世よりも悪質です。 明治の日本陸軍は、脚気に悩まされていました。 脚気は、今でこそヴィタミンB1の欠乏により起こることが広く知られていますが、当時は原因不明の難病として兵士たちに恐れられていました。 来日したドイツ人医師のベルツは、細菌が原因ではないかと主張します。 ベルツが、後の東大医学部となる東京医学校で指導していたこともあり、この「脚気細菌説」はエリート集団である東京帝国大学医学部出身者を中心に、長く信じられることになります。 思えばこれが不幸の始まりでした。 現在の東大医学部を史上最年少の19歳で卒業した…

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世間的には「偉人」でも(1)

野口英世と言えば、お札にも印刷されるくらいですから、世間では偉大な科学者と思われていますが、その実体はまったく違います。 野口が在籍したロックフェラー大学に留学した、福岡伸一の著書で私は真実を知りました。 最初に福岡が不思議に思ったのは、野口に関する記録が大学にほとんど残されていないことでした。 それはあたかも、かつて野口が在籍していた事実を隠すかのように。 その謎は、2004年の大学定期刊行広報誌を見つけたことで解き明かされます。 そこでは、野口はこんな風に紹介されていました。 「梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病と言った野口英世の研究のほとんどは間違いであった」 な…

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か弱き開拓者

強い潮風が吹き付ける海岸に、砂防用の松が植えられているのをよく見かけます。 松は、厳しい自然環境下でも生き抜くたくましい木で、荒廃した高山などに最初に進出していく「開拓者」でもあります。 ところが、次第に松が群生するようになり、下草が生い茂って森が豊かになると、今度は椎や樫などの照葉樹が台頭し始めます。 すると、松は照葉樹との生存競争に負けてしまい、より険しい高地を目指すしかなくなるのだそうです。 つまり、松が厳しい環境に進出する理由は、他者との競争がない不毛の土地でなければ生きていけないからです。 開拓者が荒れた土地に挑むのは、肥沃な土地では他者との競争に負けてしまうからだ…

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「切れ者」津田永忠(3)

番頭(ばんがしら)に抜擢され、藩士たちの羨望の的となった永忠でしたが、その翌月に早くも事態は急変してしまいます。 あれほど絶賛していた綱政が、まるで手の平を返したように辛く当たり始めたのです。 一体どうしたというのでしょう。 実は、永忠に嫉妬の念を抱いた重臣が、あることないこと綱政に告げ口していました。 無能な上司が気をつけなければならないのは、このような「ご注進」に及ぶ部下の存在です。 多くの場合、彼らの主たる仕事は上司の「ご機嫌取り」と「ご注進」です。 いや、有能な上司も例外ではありません。 豊臣秀吉の家来に、曽呂利新左衛門というお伽衆がいました。 ある時、秀吉から…

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「切れ者」津田永忠(2)

たとえその扱いが難しくとも、もはや「切れ者」に頼るしかなくなった綱政。 一方の永忠は、嫌われ役を演じることに何の抵抗もありませんでした。 農民を飢餓から救うためなら、鬼になることも厭わない永忠は、家老や藩士に厳しい倹約を強いることで財政の再建を試みます。 でも、永忠が「切れ者」と言われる所以は、その柔軟な発想力にあります。 財政とは「入」と「出」からなります。 藩の財政を立て直すには「支出」を減らすだけでなく、「収入」を増やすことが絶対に必要です。 当時の収入と言えば年貢米。 その取り立て量を増やすには、2通りの方法が考えられます。 ひとつはノルマを増やす、つまり税…

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「切れ者」津田永忠(1)

「切れ者」というのは、周囲の人間から出世を妬まれたり、足を引っ張られたりすることがあります。 サラリーマンの話ではありません。 江戸時代の岡山藩の話です。 津田永忠は、日本三名園のひとつである後楽園の築庭の際に活躍した人物ですが、そのように紹介されるのは永忠の本意ではないでしょう。 永忠が目指したものはただひとつ。 農民を飢餓から救うことでした。 岡山はもともと水害の多い地域で、2018年の西日本豪雨により271人に及ぶ死者・行方不明者を出したことは記憶に新しいところです。 承応三年(1654年)、後に名君と謳われた岡山藩の池田光政もまた、大洪水に悩まされていました。 …

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やる気を出すにはまずやる気

今回は、やる気を出すためにはどうしたらいいかという話です。 本題に入る前に、自分の意思で脳の活動をコントロールできることを説明しておく必要があります。 かつて、リラックスした時に現れるα波に関する研究で注目された「バイオフィードバック」という現象があります。 被験者の頭に脳波計をつけて、リラックスするクラシック音楽や小川のせせらぎなどを聞かせます。 しばらくしてα波が現れたら、小さな赤いランプを点灯して被験者にα波が出ていることを知らせます。 これをくり返しているうちに、やがて赤いランプを見ただけでα波が出現するようになります。 これが「バイオフィードバック」です。 …

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射殺されたトランペッター(2)

61年7月にジャズ・メッセンジャーズを退団したリー・モーガンは、満を持して自分のバンドを結成します。 しかし、本人の思惑に反して仕事は減る一方。 翌年にはウソのようにすっかり仕事がなくなり、失意のうちに故郷のフィラデルフィアに戻ります。 打ちひしがれたモーガンに再起を促したのは、意外にも地元のラジオ番組でした。 アナウンサーは彼のレコードをかける際、演奏者を「過去形」で紹介しました。 「とんでもない。オレは生きている。まだ終わっちゃいないんだ」 モーガンは一念発起し、再びニューヨークへ。 そして63年10月、盟友ハンク・モブレー(テナー・サックス)が吹き込む『ノー・ルーム…

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射殺されたトランペッター(1)

1956年秋、フィラデルフィアにやってきたディジー・ガレスピー楽団は、困った事態に直面します。 トランペッターが1人脱退したのです。 急場凌ぎに地元ミュージシャンを起用しますが、この時抜擢されたのは神童と呼ばれる18才の若者でした。 自身もトランペット奏者であるディジー・ガレスピーは、すぐさま彼の類い希な才能を見抜き、トランペッターの腕の見せ所ともいうべき曲『チュニジアの夜』を、この若者にスポットが当たるように編曲し直します。 迸る無鉄砲な若き情熱と、それとは裏腹に時折バラードで見せる、憂いを帯びた陰影の濃い哀愁とのコントラストは一躍ジャズシーンの注目を集め、その年の11月には…

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