株式会社ファイブスターズ アカデミー
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ハモンドが開催した「フロム・スピリチュアルス・トゥ・スウィング」というコンサートの客席に、一人の若きユダヤ人が座っていました。
興奮したその男は、舞台がハネるや否や大急ぎで楽屋に駆けつけ、後先も考えずに二人のブギ・ウギ・ピアニストにレコーディングの約束を取り付けます。
若者の名はアルフレッド・ライオン。
もう、おわかりですよね。
このアルバムこそ、ブルーノートの記念すべき最初の一枚です。
ハモンドの恩恵を受けたのは、ジャズ界だけでありません。
ブルース・スプリングスティーンやピート・シーガーも、彼に見出だされたシンガーです。
特に、フォークには力を入れていました。
キャロリン・ヘスターのリハーサルを聴きに行った時のこと。
会場には二人のギター奏者がいたのですが、ハーモニカ・ホルダーをしている若者の方が、なぜか気になってしようがありません。
そこで、後日コロンビアのスタジオに彼を呼び出します。
若者は社会の矛盾に目を向けていました。
幼少期にビリー・ホリデイを聴いて育ったというこの男は、戦争によって利益を得る者、リンチをする者、人種差別をする者、その他あらゆる世の中の不正に対して強くプロテストしていました。
家族と縁を切り国中を放浪していたため、日々の生活費にも事欠く有り様。
見かねたハモンドは金を貸します。
ところが、この若者の歌のレコード化を社内に諮ったところ、コロンビアのほぼ全員が反対に回ります。
確かに歌詞には訴えるものがある。
それは多くの人が認めるところです。
しかし、問題は凡庸なギター演奏とガラガラ声。
社内では、レコード化は「ハモンドの愚行」と揶揄されました。
味方といえば、パブリシティ部のビリー・ジェームスただひとり。
ジェームスは、若者向け雑誌に特集を組むなど必死のパブリシティ活動を試みましたが、残念ながらレコードの売行きは芳しくありません。
これが2作目ともなると、風当たりは強まる一方。
若くて野心家のポピュラー部門の統括部長は、ハモンドに真っ向から意義を唱えます。
「あいつは降ろそう。モノになるとは到底思えない」
この男が、ハモンドの失脚を狙っているのは明らかでした。
ところが、ハモンドはこう言って啖呵を切ります。
「私は絶対反対だ。このクビにかけても反対だ」
なんと2作目は、ハモンドのクビを抵当に入れて制作されることになりました。
でも、ハモンドには勝算がありました。
“そこそこ”ヒットしそうな曲が入っていたのです。
結果からいうと、彼の予想は半分当たり、半分外れたことになります。
外れたというのは、ヒットしたことはしたのですが、”そこそこ”どころか予想を遥かに超える、世界的な大ヒットになったからです。
その曲名は、≪風に吹かれて≫。
ボブ・ディランもまた、ハモンドが見出だした才能だったのです。
もちろん、後にノーベル文学賞を受賞するなんて誰も予想していませんでしたが、それ以上に驚くべきことは、あれほど権力や権威を毛嫌いしていたディランが、ダイナマイトを発明した人物、つまり彼自身の言葉を借りれば≪戦争の親玉≫とも言える人間が創った賞を、いともあっさりと押し戴いてしまったことです。
プロテスト・ソングのあの過激な歌詞は、一体何だったのでしょう?
それにしても、ジョン・ハモンドは、なぜこんなにも多くのミュージシャンを発掘できたのでしょう?
嗅覚の優れたプロデューサーなら、掃いて棄てるほどいます。
そして、ミュージシャンにできる限りのチャンスを与え、可能な限りの支援を惜しまないプロデューサーもそこそこいます。
ハモンドが彼らと違っていたのは、それから先です。
彼は、そのことで相手に恩を着せたり、見返りを求めたりすることは一切ありませんでした。
これには理由があります。
子どもの頃、ハモンド家には気前のいい母親を目当てに、多くの宗教団体や慈善団体が訪れていました。
母親からお金を貰った人たちは、決まってこう言いました。
「ありがとう」
でも、何度も何度もこの言葉を言わせられる人の口から、すえた憎悪の息が漏れてくることを、ジョン少年は見逃しませんでした。
恩義で人を縛るのは最低です。
もし、あなたが誰かを支援する時、少しでも見返りを期待する気持ちがあったら、きっとあなたの口からもすえた匂いが漂っていますよ。
ハモンドは言います。
「世に出る価値があるのに、金がないため埋もれている人間に、チャンスを与えるだけだ。それがめでたく実を結んで成功すれば、それだけで充分私は報いられるのだ」
何ということでしょう。
これこそまさに、「無私の精神」ではありませんか。
でも、時にはハモンドを裏切って、より有利な条件のレコード会社に移籍するミュージシャンもいました。
カウント・ベイシーの場合は、目先の金に目が眩んだマネージャーの決断によるものでした。
でも、ハモンドは文句ひとつ言いません。
2年後、ラジオ番組のスタジオでハモンドに会ったベイシーは、詫びの言葉を口にします。
「ジョン、俺は本当に自分が恥ずかしいよ」
やっぱり最後は、私利私欲のない人間が人の心を掴むのです。
浮き沈みの激しい音楽業界ですが、ハモンドを見ていると「人望」というものがどのようにして築かれていくのか、何となくわかるような気がしてきます。
そしてそれは、きっと私たちのビジネスの世界でも同じなのでしょう。
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