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5☆s 講師ブログ

不世出のプロデューサー(2)

ハモンドが訪れた「コヴァンズ」のステージには、ムーアの代わりに17歳のシンガーが立っていました。
エリノア・フェイガンというその娘は、母親が再婚したためエリノア・ゴフという名前に変わっていましたが、そんな平凡な名前では聴く方もイメージが湧きません。
そこで、映画スターのビリー・ドーヴと、父親のクラレンス・ホリデイから名前を貰って、ビリー・ホリデイと名乗っていました。

ハモンドは、自分の声をまるで管楽器のように扱うビリーに、ルイ・アームストロングの影をダブらせます。
以来、彼女が出演する「ヤー・マン」、「ホッチャ」などあちこちのスピークイージーに顔を出して回ります。
今で言う“追っかけ”ですよね。
そして、会う人全員に彼女の素晴らしさを伝え、ことあるごとにモノに書きました。

その後ビリー・ホリデイの名前は、≪奇妙な果実≫のヒットにより全米に知れ渡ることになるのですが、実はこの曲はハモンドのいる「コロンビア」ではなく、「コモドア」という誰も知らないマイナー・レーベルから発売されました。

ポプラの木に吊るされた、黒人の死体を描写した歌詞があまりに過激だったため、メジャーのレコード会社は二の足を踏んだのです。

思えば、ハモンドとミュージシャンとの出会いは、ほとんどが偶然によるものです。
そのハモンドが、「わが人生で最も幸運な発見」と回想する偶然は1936年に起こります。
ベニー・グッドマンのバンドに帯同し、シカゴのホテルに泊まっていた時のことでした。

駐車場の車に乗り込んではみたものの、これといって行くあてがありません。
とりあえずカーラジオのスイッチを入れ、何気なく周波数をカンザスシティの実験放送局に合わせました。

その時、特注のモトローラから流れてきた驚異的なサウンドに、ハモンドは自分の耳を疑います。
演奏していたのは、カウント・ベイシー(ピアノ)。
この歴史的な出会いを、音楽評論家レイナード・フェザーは「ジャズ史上、最も重要、かつ偶然のオーディション」と表現しています。

ベイシーに“カウント”というあだ名を付けたのは、WHBというラジオ局のアナウンサー。
アール(伯爵)・ハインズ、キング(王様)・オリバー、デューク(公爵)・エリントンがいるのだから、ビル・カウント(伯爵)・ベイシーがいたっておかしくない。
アナウンサーは、そう考えたのです。

ハモンドはすぐにカンザス・シティに赴き、ライヴを聴いた感想を直接本人に伝えます。
「とにかく髪の毛が逆立った」

どうです?
敏腕プロデューサーからこんな風に褒められて、嬉しくないミュージシャンがいますか?

ハモンドは音楽雑誌『ダウンビート』に称賛の記事を書き捲り、あらゆる音楽関係者にPRして回ります。
ところが、これが大問題を引き起こす原因となります。

ハモンドの記事を読んだデッカ・レコードの社長の弟デイヴ・カップが、ハモンドの友人だと偽ってベイシーに近づき、ミュージシャン側に極めて不利な条件で契約を結んでしまったのです。

ミュージシャンを守るために、労働組合まで組織していたハモンドはすぐに反撃に出ました。
あらゆるメディアに、デッカ・レコードの悪行を書き立てたのです。

これに烈火の如く怒ったのがデイヴの兄、つまり社長のジャック・カップ。
ジャックはハモンドを会社に呼びつけると、ものすごい形相で訴訟も辞さないと脅します。

しかし、ハモンドの方も、あらゆる証拠を握っているので一歩も譲りません。
ところが、両者の激しい言い争いは思わぬ展開を迎えます。

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