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5☆s 講師ブログ

スターリングブリッジの戦い(1)

ブレンデッド・ウィスキー『クレイモア』のラヴェルには、クロスした二本の大振りの剣が描かれています。
これは、かつてハイランドの戦士が使っていた、「クレイモア」という名の両刃の剣。
斬るためでも突くためでもなく、ただ相手をなぎ倒すための武器です。
あまりに大きいため、戦場に運ぶ際には従者二人に担がせたという説もあるほど。

“CLAYMORE”とは、ゲール語の“claidheawh(刀)”と、“mor(大きい)”から成る言葉ですが、スコットランドでは愛国心と勇気を象徴する剣でもあります。
こんなゴツい剣を使っていたなんて、スコットランドとイングランドの間ではさぞ何度も紛争が繰り返されていたのかと思いきや、大きな戦いは数回しかありませんでした。

理由は、スコットランド王国の貴族たちの気質にあります。
彼らには祖国を守ろうという気概は露ほどもなく、常に権力者の顔色を窺いながら世渡りする典型的な“風見鶏”。
特に12世紀から13世紀にかけては、どこの国に支配されようが自分たちの領地さえ確保できればそれでよい、という雰囲気が蔓延していました。

反乱といえば、せいぜいウィリアム1世がちょっとだけ楯突いたくらい。
彼はイングランド王ヘンリー2世に対し、かつて王家が領有していたイングランド北部3州の再保有を要求しましたが、それが拒絶されると果敢にも力づくでの奪還を試みました。
しかし、あえなくロンドンで捕まってしまいます。

この時、ヘンリー2世が提示した身柄解放の条件は、スコットランド全体がイングランドに臣従を誓うというもの。
すると、ウィリアム1世はあっさりこの条件を呑んでしまいます。
なんと、スコットランドはイングランドの支配下にあると、スコットランドの王自身が認めてしまったわけです。

それでも、ウィリアム1世にはまだツキがありました。
スコットランドを取り返すチャンスが巡ってきたのです。

ヘンリー2世の没後、イングランド王となったのは「獅子心王(the Lionheart)」とあだ名されるほど勇猛果敢なリチャード1世。
第3回十字軍の英雄です。
後に「中世騎士道の鏡」と謳われた彼は、大変な十字軍マニアでもありました。

彼は十字軍の遠征費用を捻出するため、ウィリアム1世に対し、1万マルクを払えばスコットランドを臣従関係から解放すると持ちかけたのです。
金で国土を売り渡そうというのですから驚きます。

ライオンハートは、戦費調達のためなら何でも売る男でした。
「ロンドンを売ってもいい」と爆弾発言をしたこともあります。
そもそも、彼はイングランドの統治には全く関心がありませんでした。

というのは、リチャード1世はフランス本領地のアンジューの支配を巡ってフランス国王フィリップ2世と激しく対立していたため、十字軍で遠征している時以外はほとんどフランス内に留まっていたからです。

イングランド国王として在位していた10年間のうち、ロンドンに滞在していたのはわずか6ヵ月。
イングランドの王でありながら、全く英語が話せなかったのも頷けます。

しかし、その後スコットランドは再びイングランドの支配下となり、スコットランドの人々にとってはまたも忍従の日々が続くことになります。
そんな中、時折ではありますが、激しい戦闘が繰り広げられることもありました。
この「クレイモア」という剣が、文献に最初に登場するのは「スターリングブリッジの戦い」。

スターリングはエディンバラの北西50キロのところにある小さな町で、その近くを流れるフォース川にかかっているのがスターリングブリッジ。
1297年9月11日、スコットランド史上、いやイギリス史においても有名な「スターリングブリッジの戦い」が繰り広げられました。
この戦いで、イングランド軍に反旗を翻した男こそウィリアム・ウォレス。

もしかしたら、1996年のアカデミー賞で5部門を受賞した、メル・ギブソン制作・監督・主演の映画、『ブレイヴ・ハート』の主人公と言った方がわかりやすいかもしれません。
ウォレスは、正真正銘のスコットランドの英雄です。

世界遺産であるエディンバラ城の、第一の門に向かって右側に建立されているのがウォレスの像です。
壮絶な「スターリングブリッジの戦い」の模様は、桜井俊彰著『スコットランド全史』に詳しく描かれていました。
当時のスコットランドを支配していたのは、最強の国王と謳われたエドワード1世。

スコットランド貴族たちは、相変わらずイングランド人のご機嫌取りに徹していましたが、ゲールの血を引く者たちの中にはイングランドに抵抗を試みる“跳ねっ返り”がいました。
ライオンの鬣の如く焦げ茶色の髪を蓄え、刺すような鋭い眼光の大男ウィリアム・ウォレスもそのひとり。

でもこの時点では、彼はまだ一介の「アウトロー」に過ぎませんでした。
その評価が「スコットランド愛国の士」に変わったのは、妻の死がきっかけです。

ウォレスには新婚の妻がいましたが、セルカークを根城にしていたため、ラナークにある妻の家には通い婚の状態。
ところがある夜、監視していたイングランド兵に見つかってしまいます。

ほうほうの体で妻の家に逃げ込んだまではいい のですが、兵士たちは大きな槌で扉の破壊に取り掛かったではありませんか。
それでも、間一髪のところで裏口から脱出し、ウォレスは無事セルカークに逃げ帰ることができました。

この兵士たちの不手際に激怒したのが、州長官のウィリアム・ヘーセリング。
なんと、妻の家に火を放てと命じます。
結果、妻とその使用人は全員斬殺されてしまいました。

報せを受けたウォレスは鬼と化します。
直ちに州長官の建物を急襲し、ヘーセリングを自らの剣で斬り刻んでしまったのです。
州長官の建物は妻の家と同様猛火に包まれ、閉じ込められたイングランド兵たちは全員焼死。

しかし、それで終わりではありませんでした。
ウォレスの放った怒りの炎は、抑圧されていたスコットランド人の反骨心にも飛び火したのです。

各地に散在していた反イングランド勢力が、続々とウォレスのもとに集まり始めます。
スコットランド北部マウンスの領主、ゲール系のアンドリュー・モレーと手を結んだウォレスは、フォース川北側のオウキル・ヒルズという小高い丘の近くに陣を構えます。

一方、戦闘態勢が整ったウォレス軍とは対照的に、イングランド軍は大混乱に陥っていました。

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