株式会社ファイブスターズ アカデミー

まずはお気軽に
お問い合わせください。

03-6812-9618

5☆s 講師ブログ

メディアの闇(1)

フジサンケイグループと鹿内家との凄まじい権力闘争を描いた『メディアの支配者』で、講談社ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞したフリー・ジャーナリストの中川一徳が、今度は『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』の中で権力者とメディアの癒着を暴いています。

戦前は陸軍が出版社に対して言論統制を行っていたため、自由な発言ができなかったと多くの出版人が言い訳していますが、これは真っ赤なウソです。

責任逃れのためにデッチ上げた、明らかなデマです。
言論統制をしていた極悪人として登場するのは、陸軍情報館の鈴木庫三少佐。

ところが、本当のところ鈴木と出版社は蜜月の関係にありました。
その証拠に、日中戦争を経て大戦に向かう昭和15年(1940年)までの間、雑誌販売部数は空前の右肩上がりを記録し、出版社は我が世の春を謳歌していたのです。
そのため、敗戦直後は旺文社や講談社、主婦之友社などが「七大戦犯出版社」というレッテルを貼られました。

『赤尾の豆単』で大当たりをとった旺文社は、昭和15年に陸軍情報館が全面支援する“国策雑誌”の『新若人』を創刊し、中等学生たちの戦意高揚に大いに貢献しました。
その3年後、赤尾好夫は「出版報国団」の副団長に就任します。
出版報国団というネーミングを見ても、軍部と旺文社がいかに緊密な関係にあったかがわかります。

もっと癒着していた出版社もありました。
朝日です。
朝日新聞の出版局は、鈴木の著書『世界再建と国防国家』を出版し、祝賀会まで催して鈴木を厚遇します。
戦後、GHQから軍国主義を賞揚する発禁図書に指定された数は、朝日が131点とダントツです。
出版界において、朝日は「戦犯」級の大活躍をしていたわけです。

一方、文藝春秋、中央公論社、改造社などは、鈴木の支持が得らなかったために、用紙の割当権限を持つ「日本出版文化協会(文協)」の役員になれませんでした。
ところが、戦意高揚に多大な貢献をした朝日は終戦を迎えるといち早く「民主主義の旗手」に衣替えし、出版局長の飯田幡司を文協の専務理事に送り込み、不当に多くの用紙を自社に割り当てることに成功します。

この変わり身の早さには驚くばかりですが、当時軍部に取り入って大きな成果を挙げた出版社は、朝日の他に講談社、旺文社などがありました。
戦後、期せずしてその三社が同じテレビ局に集まることになります。
旺文社の赤尾好夫と、朝日の飯島幡司が、それぞれ東西のNETと朝日放送のトップに上り詰めたのは決して偶然ではありません。

赤尾は公職追放の憂き目に遭いましたが、その3年後にはGHQや文部省の意向に沿って、日本英語教育協会の運営を引き受けます。
これが後の「英検」を生み、旺文社と赤尾家にとってはカネのなる木に育つのでした。

後に赤尾好夫の跡を継いだ長男の一夫が、テレビ朝日の株を売却して巨額の利益を得るのですが、タックス・ヘイヴンのモナコを使った課税逃れが発覚し、98年に東京国税局から250億円の申告漏れの指摘を受けます。
その追徴金を融資したのは、赤尾家が財布代わりに使っていたラジオ局の文化放送。

後で詳しく述べますが、出版業界や放送業界の関係者が「マネー・ゲーム」の主役になるケースは結構多く、そういう意味ではメディア業界はカネにまみれた“汚れた世界”とも言えます。

話を元に戻しましょう。
終戦から12年後の1957年、テレビ局の免許が全国一斉に交付されることになります。
朝日新聞社の担当は、業務部門の統括で電波担当役員でもあった永井大三。
読売の務台光雄と並び称されるやり手でしたが、朝日はテレビ放送に消極的な姿勢を取っていたため、読売に大きく遅れをとる形となっていました。

当時の郵政大臣は、39歳の田中角栄。
新聞各社は、テレビという新たな利権を獲得するため、舞台裏で熾烈な政治工作を繰り広げます。
本来このような裏工作は闇に封印されるはずのものですが、なぜか九州朝日放送の社史の中に生々しい遣り取りが残されていました。

永井は政治部長を伴って田中のもとを訪れます。
ところが、田中は約束の時間に遅れてやってきます。

「話を聞こう」と切り出す田中に、永井はピシャリと言い放ちました。
「お義理で聞いてもらっては困る。今日は永井の顔だけ覚えておいてくれ。いずれメシを食おう」
大臣とは言え“若造”である田中に舐められないようにするための、永井流の牽制球でした。

ところが、田中は「業者とはメシは食えん」とその申し出を断ります。
永井はすかさず「朝日は業者ではない」と反論しますが、実際問題として新聞社やテレビ局が「報道機関」と「業者」という二つの顔を持つことは隠しようのない事実です。

そして、この二面性こそが、メディアが抱える大いなる矛盾の根っこでもあります。
ところが、翌日に再び永井が出向くと、田中は前日とはうって変わって、なぜか全ての予定をキャンセルして長時間の面談に応じます。

永井はここぞとばかりに畳み掛けました。
「九州は朝日にくれ。大阪は朝日に抱かせてくれ。名古屋は相乗りやむなし」

この発言を翻訳すると以下のとおりになります。

「名古屋はライヴァル新聞社との相乗りで我慢するが、九州は朝日単独で。
大阪はすでに朝日と毎日新聞が相乗りする大阪テレビが開局しているため、新しくできる二局目に朝日と毎日のどちらかが移ることになるが、いずれにせよ一局はもらいたい」

永井は、田中から確約を得るために、タバコの箱の裏に書いておいた三地区の要求を示してサインするよう迫ります。
最初田中は、ローマ字で「TANAKA」と書きました。

しかし、すぐにそれを消して、今度は「○の中に田」という字に書き直します。
大臣の一存で放送免許が朝日に与えられるという、前代未聞の「密約」が成立した瞬間でした。

ところが、免許付与が近づいたある日、目白の田中邸から永井にお呼びがかかります。
順番待ちする大勢の陳情客の前を通って面会室に入る永井。

しかし、田中は「もう話すこともないわ」と世間話をしただけで面会は早々に終わります。
部屋を出た永井が階段を降りている最中でした。
二階から田中のダミ声が飛んできます。
「朝日の言いなりになってたまるかあー」

初めての方へ研修を探す講師紹介よくある質問会社案内お知らせお問い合わせサイトのご利用について個人情報保護方針

© FiveStars Academy Co., Ltd. All right reserved.