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5☆s 講師ブログ

無邪気な博士が世界を救う(2)

マリス博士の大発見を世界は見逃しませんでした。
最初の朗報は日本からもたらされます。

1992年(平成4年)、日本の国際科学技術財団が、マリスの研究を「日本国際賞」に選出したのです。
賞金は5千万円。
マリスの大発見に、ついにスポットライトが当たった瞬間でした。

授賞式で当時の天皇、皇后両陛下に面会したマリスが、皇后に向かって発した最初の挨拶は「スウィーティ(かわい子ちゃん)」。
こんな不謹慎な男は、後にも先にもマリスだけでしょう。
「他の国の皇后とはお知り合いですか?」と尋ねるマリスに、「世界に皇后の称号をもつ方は私を含めて3人しかおりません」と答える皇后。
あとの2人の名前を聞き出したマリスは、「私のガールフレンド候補には考えにくい」と呟きます。
これには皇后も同意せざるを得ませんでした。

この年のノーベル賞を逃した時、大学時代の恩師ジョー・ネイランズは、マリスに極めて的確なアドバイスを贈っています。
「ノーベル賞委員会が、君に賞を与えやすくなるように条件を整えるべきだ」
分かりやすくいうと「マスコミにしゃべり過ぎるな」ということです。

何せサーフィンに女好き、その上LSDでラリッた経験までも包み隠さず話してしまう人物です。
委員会が二の足を踏むのも当然でしょう。
でも、ジョーの心配は杞憂に終わりました。

翌93年には、めでたくノーベル化学賞に輝いたのです。
本人の素行に問題があったとしても、委員会は研究の中身を正当に評価したということです。

この辺りは、日本の文壇とは大違い。
太宰治の短編『逆行』が第一回芥川賞の候補になった時、選考委員のひとりである川端康成は、「私見によれば作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった」として、さっさと候補から外してしまいます。
いくら太宰が鎮痛剤パビナールの中毒者で、薬を得るために多額の借金を重ねていたとはいえ、作者の私生活に「厭な雲あり」という理由で候補から除外するのは筋違いというものでしょう。
それとも芸術というのは、作品だけでなく作家本人の「品格」も審査の対象となるのでしょうか。

賞金の500円を借金返済のあてにしていた太宰の落胆は、いかばかりのものだったでしょう。
すぐに『文芸通信』に川端への抗議文を投稿するのですが、その中で太宰は「刺す」という極めて過激な言葉を使って怒りのほどを表現しました。
これ以降、太宰には「無頼派」のレッテルが貼られることとなります。

ところで、マリスがノーベル賞授賞の報せを受けた時のエピソードも傑作です。
朝6時15分に電話を受けたのですが、7時にはいつものようにサーフィン仲間のスティーブ・ジャッドがやって来ます。
「オレ、ノーベル賞とってしまったんだぜ」
「知ってるよ。来る途中にラジオで言ってたから。それより早くサーフィンに行こうぜ」

メディアからの取材電話が引っ切り無しにかかってきているというのに、マリスはさっさとサーフィンに出かけてしまいます。
その頃、地元のテレビ局は、この異色の科学者から一番乗りでインタビューをとろうと躍起になっていました。
やっとのことでサーフィンの場所を突き止め、取材クルーを海岸で待機させたところまでは上出来でしたが、困ったことに彼らはマリスの顔を知りません。
そのためクルーは、海からあがってくるサーファーを片っ端から捕まえては、「マリスさんですか?」と聞いて回らざるを得ませんでした。

一方、海で仲間たちと合流したマリスは一計を案じます。
打ち合わせ通り、まず仲間のアンディがカメラの前に立ち、神妙な面持ちでクルーの質問に「イエス」と答えます。
思わず歓喜の表情を浮かべるクルーたち。
「ノーベル賞受賞の感想は?」
「夢が叶ったという感じです」
「今日はこのあと、どのように過ごされるのですか?」
そこでアンディはおもむろにマリスの方を振り返り、こう言ったのです。
「ああ、そうだ、思い出した!こいつがキャリー・マリスだった」

まるで「ドッキリカメラ」ですよね。
彼らは、権威あるノーベル賞を一体何だと思っているのでしょう。
でも、痛快なエピソードではあります。
してやったりのマリスでしたが、唯一残念だったのはこのシーンがカットとなり放送されなかったことです。

ノーベル賞授賞のため訪れたストックホルムでも、無邪気な博士の狂騒曲は続きます。
色を間違えて作ってしまった白いタキシードは、授賞式には使えませんでしたが、その後の4回目の結婚式で日の目を見ることになりました。
また、授賞講演で使ってほしいと友人からプレゼントされた、当時としては珍しかったレーザー・ポインターは博士の格好のオモチャとなり、ホテルの窓から路上の人々に向けてポインターを照射するという遊びに夢中になります。

車外でタバコを吸っていたタクシー運転手は、自分の胸に赤い点が揺らめいていることに気づき大慌てで運転席に戻りますが、その赤い点はフロントガラス越しにダッシュボードまで追いかけてきます。
今度はどこに当ててやろうかとマリスが考えを巡らせていたその時、ホテルの部屋をノックする音が聞こえます。
来客は警察でした。

この無邪気な博士はご存知なかったのです。
レーザー・ポインターが射撃用ライフルの照準器としても使われていることや、ストックホルムではその前年に道路を歩いていた人の胸に突然レーザー・ポインターが照射され、そのまま射殺されるという事件が起きていたことを。
危うく、ノーベル賞学者が逮捕されるところだったわけです。

マリスは自伝に、「それ以降、私はスウェーデンでレーザー・ポインターを使うのをやめにした」と記していますが、この言い回しからみて、おそらくスウェーデン以外ではこの遊びをやっていたのでしょう。

さあ、いよいよノーベル賞の授賞式。
ここでもマリス博士の不謹慎が炸裂します。
あろうことかスウェーデン国王に対して、自分の息子を王女の婿にどうかと持ちかけたのです。
もちろん、この申し出が却下された理由は、マリスの提示した交換条件が、領土の3分の1を寄越せという法外なものだったからではありません。

こんなマリス博士ですが、授賞講演では実に示唆に富んだ話をしています。
科学とは楽しみながらやることだと信じてきたこと。
PCRの発明も、子どもの頃に遊びでやっていたことの延長線上にあること。
もし自分がもっといろいろな知識をもっていたら、それが邪魔になってPCRは決して発明されなかっただろうということ。

そう言えば、マリスからアイデアを聞かされた仲間の科学者が、誰ひとりとしてその実験をやってみようと思わなかったのは実に不思議です。
おそらく、彼らがマリスよりもずっと多くの知識を持っていたことが、逆に足枷になってしまったのでしょう。
まさに「少年の心」を持った博士だからこそ、成し遂げることができた大偉業でした。
ただ、少年というには、あまりに幼なすぎる気がしないでもありませんが。

でも、このPCR法の発明により分子生物学が飛躍的な発展を遂げたことは揺るぎない事実であり、実験成功からわずか10年という短期間でノーベル賞授賞に至ったことが、何よりもそれを雄弁に物語っています。
もしPCR法の発明がなかったら、新型コロナウイルスによる被害はもっと大きなものになっていたはず。

まさに、この愛すべき無邪気な博士が世界を救ったと言えましょう。
そんなマリスの自由奔放な生き方を知るだけで、コロナ禍のストレスが少し軽減されたような気になりませんか。

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