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5☆s 講師ブログ

所詮は「思い込み」

脳科学者の池谷裕二は、娘が産まれたのを機に、その発達過程を科学者の視点で観察することにしました。
通常、赤ちゃんは生後1歳半くらいで、自分という存在を認識できるようになります。

でも、一口に「自分を認識する」と言っても、事はそう簡単ではありません。
心理学では「鏡像認知」といって、鏡に映った姿は自分であると正しく認識できるかどうかが基準になります。
意外なことに、これがちゃんとできる動物はそれほど多くいません。
イヌやサルは、鏡に映った自分の姿を他人だと思って攻撃しようとします。

でも、鏡に映っている姿が自分のものだと正しく認識できているかどうかなんて、一体どうやって判定するのでしょう。
それは、顔に絵の具をつけるのです。
チンパンジーの顔に絵の具をつけて鏡の前に立たせると、顔についた絵の具を取ろうとします。
これが、鏡に映っている姿は自分のものだと認識できている証拠です。
チンパンジーの他にカラスやカササギ、それにシャチ、イルカ、魚ではホンソメワケベラなどがこの課題をクリアーできますが、不思議なことにアジアゾウにはできてもアフリカゾウにはできません。

池谷の娘さんも無事これができるようになりました。
めでたし、めでたし。
このように、自分を認識できるようになるというのは、脳科学的には一大イベントなのです。

そもそも脳を持つ生物は、地球上の全生物のうちたったの0.13%しか存在しません。
だから、自分を認識できるというのは、生物界では奇跡に近いことだと言ってもいいかもしれません。

ところで、赤ちゃんはお母さんに「イナイ、イナイ、バー」をされるととても喜びますが、なぜ喜ぶかというと赤ちゃんには時間という概念がないため、手で顔を隠した時点でお母さんが存在しなくなったと思うからです。
その存在しなくなったはずのお母さんが、突如また目の前に出現したので喜んだというわけです。
赤ちゃんにとって「見えないもの」とは、この世に「存在しないもの」なのです。

でも、生後6カ月を過ぎる頃になると、この遊びに興味を示さなくなります。
時間の概念が生まれるからです。
これはとても重要なことです。
例えば捕食者が物陰に隠れた時、「見えない=存在しない」と脳が判断してしまうと、ノコノコ出ていって捕まってしまいますよね。
私たちの祖先は、この時間という概念を手に入れたおかげで、なんとか生き残ることができたのです。

さて、鏡の話に戻りましょう。
鏡に映った人物が自分であると認識できるということは、自分が他の人とは違う「個別の存在」であることを識別できるようになったということです。
人はまず、周囲の人を認識できるようになり、次に自分を認識できるようになります。
気づく順番からいうと、他人が先でその後が自分です。
なぜ他人が先かというと、これも私たちの祖先の生き残り戦略と関係しています。

動物は、生き残るために捕食者に徹底的に注意を払います。
そのおかげで、他者を観察する能力が発達しました。
本来、他者を観察するための目を、ある日試しに己れに向けてみたら、そこには他者とは決定的に違う「自分」という存在がいた。
これが自己認識の始まりです。
そもそも、他者に向けるべき視線をわざわざ自分に向けることは、生存にとって全く必要のない行為です。
だから、多くの動物は自分を観察しないのです。

興味深いことに、この「他人を認識する」という能力も時間の概念に関係しています。
「他人を認識する」ことは、学術的に言うと「他人の不変性を見いだす」ことです。
「不変性」とは、時間を超えて一定であること。
つまり、服装や髪型が昨日と違っていても、ちゃんとその人だと認識できることをいいます。

ここから先はちょっとややこしい話になりますが、我慢して聞いて下さいね。
他人の「不変性」についてはわかりました。
でも、自分の「不変性」についてはどうでしょう。

私たちは夜眠りについて朝目覚めますが、眠っている間の何時間かは意識が途切れています。
意識が途切れているにも関わらず、朝目覚めた私が昨夜眠りについた私と同じであることは誰でもわかっています。
そんなことは当たり前です。

しかし、池谷によればそれは「わかる」のではなく、本人が「そう信じている」だけなのだそうです。
「眠っている間に自分が誰かとすり替わったかも」と疑う人を今まで見たことありませんが、それではすり替わっていない証拠を出せと言われたら、証拠はどこにも存在しないのだそうです。

分子レベルで見ると、昨日の脳と今日の脳は全くの別物と言っていいほど変化しているそうです。

つまり、私たちは何の根拠もなく「今日の私は昨日の延長線上にある」とか、「自分は一貫した存在である」と思い込んでいるだけなのです。

哲学チックな話で頭が混乱しそうですが、「自分は一貫した自分である」と信じ込まないと、「自分」というものは生まれません。
自分を信じる力だけが、唯一自分を創発する源なのです。
だから、赤ちゃんが鏡の中の自分を認識したということは、自分という存在への強い信念が生まれたということに他なりません。

普段私たちは、さも偉そうに「自分の意見を持て」と説教を垂れたり、時には「アイデンティティ」という小難しい言葉を使って議論したりしていますが、脳科学から見ると「自分」なんてものは所詮「思い込み」に過ぎないのです。

どうです?
何か足元がグラついてきた感じがしませんか?

でも、それでいいではないか、と私は思うのです。
それのどこがいけないのだ、と。
だって、「アイデンティティ」はもともと個人的なものでしょ。
人類共通の「アイデンティティ」なんてないですよね。
だから、その個人的な思い込みである「アイデンティティ」を、堂々と主張しようではありませんか。

「思い込み」が問題なのではありません。
「アイデンティティ」がないことが問題なのです。

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