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5☆s 講師ブログ

「切れ者」津田永忠(2)

たとえその扱いが難しくとも、もはや「切れ者」に頼るしかなくなった綱政。
一方の永忠は、嫌われ役を演じることに何の抵抗もありませんでした。
農民を飢餓から救うためなら、鬼になることも厭わない永忠は、家老や藩士に厳しい倹約を強いることで財政の再建を試みます。

でも、永忠が「切れ者」と言われる所以は、その柔軟な発想力にあります。
財政とは「入」と「出」からなります。
藩の財政を立て直すには「支出」を減らすだけでなく、「収入」を増やすことが絶対に必要です。

当時の収入と言えば年貢米。

その取り立て量を増やすには、2通りの方法が考えられます。
ひとつはノルマを増やす、つまり税率を上げて年貢米収入を増やす方法。
もうひとつは、ノルマ(税率)はそのままで米の収穫量の方を増やす方法。
なんだか消費税を巡る税収論議に似てますよね。

藩が栄えるには、まず藩を支える農民が豊かにならなければならない。
そう考える永忠が選択したのは当然後者の方。

治水工事によって洪水を防ぐと同時に、工事によって新しく生まれる土地を新田として開発しようというのです。
田圃が増えれば米の収穫量が増えるのは子どもでもわかる理屈ですが、問題は莫大な新田開発の費用にありました。

卓越した土木技術を生かして「幸島(こうじま)新田」などの開発経験がある永忠ですが、念願の「沖新田」の開発は児島湾の一部まで埋め立ててしまおうという超がつくほどの大規模事業。
莫大な費用が予想されます。

しかも、川の流れを変えることにより、米の収穫量が減ってしまう地域が出たり、漁師が漁場を失ってしまうという弊害も生じます。
永忠以外の、ほぼ全ての関係者が反対に回りました。
もはや四面楚歌どころの騒ぎではありません。

しかし、決して空気を読まない男は、孤立を恐れることなくあくまで自分の信念を貫き通します。
「名声を好み、心に毒を持つ男」という卑劣な誹謗中傷を受けますが、名誉に拘るなら今すぐに辞めてもよいが、「ごみをかぶり候ても」やり遂げたいと申し出たのでした。
なんという執念。

当時の永忠の評価が真っ二つに分かれているのは、この頑固さのせいかもしれません。

追い詰められた永忠は、失敗したら切腹という絶体絶命のピンチに陥ります。
でも永忠は自分の主張を強引に押し通すだけの、ただの頑固者ではありませんでした。

反対意見にも真摯に耳を傾け、相手に理があると思えばすぐに考えを修正し、どんな時もあくまで理詰めで根気よく説得を続けます。
収穫量が減る農民たちには、備蓄米を支給することで損失補填を約束します。
漁師たちには、漁業に代わるビジネスとして船輸送の独占権を与えました。

徐々に賛成派が増えていく中、難関の資金問題は意外な形で決着がつきます。
かつての財政改革の際、山ほどあった借銀をたったの7年できれいに返済した永忠の手腕を高く評価した上方の豪商たちが、二つ返事で貸し付けに応じてくれたのです。
しかも、この時の豪商たちの貸付先は岡山藩ではなく、なんと永忠個人でした。

金額は、当時のお金で銀五百貫目といいますから現在の価値でいうと約10億円。

もし、津田永忠という人物がいなかったら、岡山藩は一体どうなっていたでしょう。
永忠の獅子奮迅の活躍により、「沖新田」の開発は見事に成功します。
まさに、一念岩をも通す。

米の収穫量は飛躍的に増え、ついに農民たちは飢餓から解放されたのでした。
綱政はこの功績を高く評価し、永忠を番頭(ばんがしら)に抜擢します。
今や藩士たちの羨望の的となった永忠。

ところが、その翌月に早くも事態は急変してしまいます。

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