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5☆s 講師ブログ

射殺されたトランペッター(2)

61年7月にジャズ・メッセンジャーズを退団したリー・モーガンは、満を持して自分のバンドを結成します。
しかし、本人の思惑に反して仕事は減る一方。
翌年にはウソのようにすっかり仕事がなくなり、失意のうちに故郷のフィラデルフィアに戻ります。

打ちひしがれたモーガンに再起を促したのは、意外にも地元のラジオ番組でした。
アナウンサーは彼のレコードをかける際、演奏者を「過去形」で紹介しました。
「とんでもない。オレは生きている。まだ終わっちゃいないんだ」
モーガンは一念発起し、再びニューヨークへ。

そして63年10月、盟友ハンク・モブレー(テナー・サックス)が吹き込む『ノー・ルーム・フォー・スクエアーズ』のレコーディングスタジオに姿を現します。
モーガンはついに戻ってきたのです。

暖かい眼差しで迎えた仲間たちですが、演奏が始まるとあることに気がつきます。
迸る無鉄砲な情熱と、憂いを帯びた陰影の濃い哀愁というコントラストをなす上質の素材が、円熟という名の調味料で味付けされていたのです。
フィリー・ジョーのシンバルレガートも、心なしかいつもより弾んでいるように聞こえます。

やがてジャズ・メッセンジャーズに復帰が叶うと、ブルーノートではカムバックを祝うリーダーアルバムをリリースする話が持ち上がります。
その打ち合わせのためオフィスを訪れたモーガンは、そこでハービー・ハンコック(ピアノ)の『ウォーターメロン・マン』を耳にしました。
一遍で斬新なサウンドが気に入り、自分もこの手の曲にチャレンジしたいとアルフレッド・ライオンに申し出ます。
打ち合わせを終え、ブルックリンの自宅に戻るため西59丁目の地下鉄の駅に向かうのですが、帰り道の途中でそれは起きました。

モーガンの頭の中では先ほど聴いた、後に「ジャズ・ロック」と呼ばれる8ビートのリズムがずっと鳴り響いています。
駅に着き、プラットホームに続く階段を降りている時でした。
突然、ブルースを基調にしたアイデアが浮かんできたではありませんか。
急いでポケットから紙片を取り出し、メロディを書き留めます。
ホームに電車が到着しますが、もはやそれどころではありません。
一本やり過ごして、とりあえずテーマだけは完成させます。
この間わずか10数分。
これが、大ヒット曲『ザ・サイドワインダー』誕生の瞬間でした。

あの特徴的なベースのイントロは、ホームに近づく電車の轟音がインスピレーションとなりました。
ちなみに「サイドワインダー」という題名は、ミサイルでも蛇でもなく、人気テレビドラマに登場する悪役からとったものだそうです。
ジャズの表舞台に舞い戻ったモーガンを、人々は熱狂的な拍手で迎えました。

ジャズファンが彼を支持する理由は、どんなときも手を抜かない全力プレイにあります。
掃いて捨てるほど代表作があるわけですから、ライヴでは昔の杵柄を適当に並べるだけで十分拍手はもらえるはず。
でも、その加減ができないのがいかにもモーガンらしいところ。

しかし、この愛すべきトランペッターとの別れは、突然に、しかもこの上なく壮絶な形で訪れます。
72年2月18日深夜、ニューヨークのジャズグラブ「スラッグス」。
2ステージ目が終わった店内に、耳をつんざくような轟音が鳴り響きます。
長年同居していた14歳年上の愛人が、モーガンの胸を目がけてリボルバーの引き金を引いたのです。
原因は、入籍を望む彼女を尻目に、モーガンが年下の女性との結婚を決めてしまったことでした。
享年33。

訃報が流れるや否や、ニューヨーク中のジャズクラブが喪に服して店を閉めてしまいます。
このエピソードからも、モーガンが人々からどれほど深く愛されていたかがわかろうというものです。
それにしても不思議なのは、天才とか神童と呼ばれる人は、どうしてこうも普通の死に方ができないものでしょうか。

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