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5☆s 講師ブログ

空気の研究

ちょっと前のことですが、空気を読めない人間は“KY”などと陰口を叩かれました。
“空気”について最初に論じたのは山本七平です。
1977年に上梓された『空気の研究』は、今でも多くの人に読まれているロングセラーです。

その冒頭に、戦艦大和の特攻出撃のことが書かれています。

2014年7月の『戦艦大和』の回でも書きましたが、終戦の年である昭和20年4月7日に、
撃沈されることが火を見るより明らかだったにもかかわらず、
大和は連合軍に占領された沖縄を目指して出航します。

予想通り、九州を出るや否や敵に発見され、わずか2時間ほどで海の藻屑と化しますが、

この戦闘で3,000人以上が命を落としました。
この時、片道分の燃料しか積んでいなかったのは、すでに覚悟の上での出航だったからです。

その30年後、「文藝春秋」が『戦艦大和』という特集を組んで、この作戦の検証を行いました。

当時の海軍や空軍の専門家たちがこの特攻出撃について様々な持論を述べますが、
山本の分析によれば、無謀だったと正論を述べる人たちに共通している点は、
無謀と断ずるに足る詳細なデータやしっかりした根拠があることだそうです。

一方の、無謀ではなく正しい判断だったと主張する側はどうでしょう。

軍令部次長で、この命令を下した張本人、小沢治三郎中将の言い分を聞いてみましょう。
「全般の空気よりして、当時も今も特攻出撃は当然と思う」

なんと“空気”という言葉が出てきたではありませんか。

あの判断は正しかったとする人たちは、決定の根拠を“空気”に帰しているのが特徴です。

しかし、侮るなかれ!

この“空気”こそが、日本においては最高の意思決定機関なのです。

小沢はこう続けます。

「当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏(べんそ)しようと思わない」

つまり、いかなるデータに基づいてこの決断を下したかについて語るつもりはないということです。

と言うより、語ることができないのです。
なぜなら、その決定を下したのは“空気”だからです。

驚くべきことに、すべての責任は最高責任者ではなく、“空気”にあるのです。

だから死を命じた理由については、命じた本人さえも説明できないのです。

直前まで特攻出撃に反対していた大和の伊藤整一司令長官は、

「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」
と三上参謀から伝達を受けた時、一言も反論することなくこう答えます。
「それならば何をかいわんや。よく了解した」

あまりにも馬鹿げた命令なのに、なぜいとも簡単に了解してしまったのでしょうか。

そもそも三上参謀もまた、特攻出撃に猛反対していた人物です。
その人がここまで言い切ったのです。
だから、この時の伊藤長官の「了解した」は、「空気の決定であることを了解した」という意味なのです。

“空気”の命令により死地に赴くことになった3000人余りの兵士たちは、

一体どんな気持ちで大和に乗り込んだのでしょうか。
考えるだけで胸が痛みます。

山本七平はこう考えました。

軍には抗命罪というものがあるため、命令には背けなかったと言う議論があるがこれは怪しい。
むしろ日本には「抗空気罪」という罪があったのではないか。
こうなるともはや“空気”というのは絶対権を持った妖怪か、
あるいは一種の超能力のようなものかもしれないと。

しかし、スプーンが曲がる理由を説明できないというならまだしも、

「死ね」という命令を下した本人がその命令の根拠を説明できないというのは、
外国だったら到底許されないことでしょう。

集団的自衛権の問題にも、同じことが言えるのではないでしょうか。

集団的自衛権は、日本が他国に守ってもらっているのに、日本が相手国を守らないのはおかしいという論理です。

しかし、半藤一利が指摘しているように、実際に諸外国から「守ってほしい」という要請があったのでしょうか。

もしかしたら、そのような“空気”を感じているだけではないでしょうか。

多くの憲法学者が、法的根拠を示して「違憲」であると主張しているのですから、

その必要性についても一体何カ国から要請や要望を受けているのか、
はっきりした数字を示すべきではないでしょうか。
一体どこの国の誰が、自衛隊の海外派遣を要望しているのかについて、私たちにもわかるようにしてほしいと思います。

私見ですが、冷戦終結以降、国同士あるいは連合国同士による戦争のリスクはむしろ低下し、

それよりも、国という概念を超えたテロリスト集団との戦いの方が心配なように思います。
ですので、個人的には「対敵国」よりも、「対テロリスト」の対策の方をしっかりやってもらいたいのです。

さらに、“空気”に関する山本の考察は、戦争だけでなく企業の会議にも及びます。

一般に会議室は、“職場の空気”が支配しています。

そこで様々な議題が決定された後、会議は散会となり参加者は三々五々飲み屋に向かいます。
飲み屋では“職場の空気”から解放され、本音のフリートークが展開されます。

今度は“飲み屋の空気”が支配するわけですが、そこでは

「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっとネー」
などと、会議での意思表示とは異なる意見を展開する人も出てきます。

もし飲み屋を回って本音を集めれば、会議室での結論とは別のものになる可能性だってあります。

そこで彼は、会議室の多数決と飲み屋の多数決を合計して決定してはどうかと提案しています。

なるほど!

とても面白い発想ですよね。

ただ忘れてならないのは、この本が書かれたのは今から約40年前だということです。

ということは、この40年間、日本の企業の会議スタイルは全く変わっていないということです。

いや、戦時中も“空気”が支配していたとすれば、恐らくここ100年くらいの間、

日本の集団的意思決定メカニズムは全く変わっていないことになります。

しかし、今やグローバル化の時代。

あと何年かすれば、会社の意思決定の会議に外国人が参加するなんてことは、当たり前になるのではないでしょうか。
今一度、よく考えてみるべきです。
「和をもって貴しとなす」が日本人の美徳と言われてきましたが、それははたして本当でしょうか。
「和」を壊さないために“空気”を読んで沈黙することが、マイナスに働く場合だってあるはずです。

私は、グローバル化によって、責任を“空気”に転嫁することができなくなることは、

とてもよいことだと思います。

なぜなら、あの悲惨な戦争でさえ、責任の所在は未だに明確になっていないのですから。

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