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5☆s 講師ブログ

音楽には2種類しかない

18才の、ある春の日の出来事を今でもはっきりと覚えています。
まるで金縛りにでもあったかのように、まったく身動きがとれなくなりました。

原因は小さなFMラジオから流れてきた、“慟哭”と呼ぶにふさわしいアルト・サックス。
フィル・ウッズの『ホェン・ウィ・ワー・ヤング』です。
やり場のない怒りや悲しみが塊となって私を直撃し、激しく揺さぶりました。
以来、ずっとこの曲を聴き続けています。

ウッズの知友だったロバート・ケネディの死を悼んで録音されたものと知り、何だか謎が解けたような気になったのはずっと後のこと。
ウッズがアルト・サックスを手にしたきっかけは、叔父の遺品の中にこの楽器があったからでした。
レッスンに通うことが供養になると周囲から勧められたためで、特にアルト・サックスに興味があったわけではありません。

その後ジュリアード音楽院で学びながら、ニューヨークで私塾を開いていた鬼才レニー・トリスターノ(ピアノ)の門下生となります。
でも、ジョージ・ウォリントン(ピアノ)のクァルテットで頭角を現す頃には、トリスターノの友人であるチャーリー・パーカーにすっかり染まっていました。
時代とともに演奏スタイルが変化していくミュージシャンが多い中で、ウッズは死ぬまで敬愛する“神様”にこだわり続けたミュージシャンです。

音楽性だけでなく人間まるごと“神様”になりきろうとしたことは、パーカーの死後に内縁の妻のチャン・リチャードソンと結婚し、2人の遺児を育て上げたことからも明らかです。
でも、ただ単にパーカーのコピーに終始していたわけではありません。

例えば、マイルスに傾倒した時期もありました。
57年の『ウォーム・ウッズ』では、ピアノのボブ・コーウィンにレッド・ガーランド風の弾き方を強要しました。
ソニー・ダラス(ベース)はポール・チェンバース、ドラムスのニック・スタビュラスはフィリー・ジョーになりきって演奏しています。

このグループにジーン・クイルが客演し、壮絶なアルト・バトルを繰り広げた『フィル・トークス・ウィズ・クイル』は、ウッズ自身も絶賛するほどの素晴らしい出来栄え。
バトルものの最高傑作のひとつと言っても過言ではないでしょう。

ウッズの演奏がパーカーと異なる点は、とにかくよく「歌う」ことです。
パーカーの演奏の中に、これほどの歌心を見出すことはできません。
テクニックだけでなく、エモーショナルという点でも突出したミュージシャンですが、ヴェトナム戦争の泥沼化と共にフリー・ジャズが隆盛となっていく祖国に絶望し、67年には新天地を求めてフランスに渡ってしまいます。
そして、異国の地でヨーロピアン・リズム・マシーンを結成するのでした。

一方その頃、ロバート・ボブ・ケネディは大統領の椅子に向かって順調に歩を進めていました。
しかし、68年6月5日、大統領選挙の予備選で大票田のカリフォルニア州を制した直後悲劇に襲われます。
LAにあるアンバサダーホテルのエンバシールームでの勝利演説を終えたロバートは、記者会見場へと急いでいました。

彼がチョイスしたのは、調理室の狭い通路をすり抜けるルート。
まさかそこに、拳銃を携えた暗殺者が息を潜めていようなどと、一体誰が予想したでしょう。
皿洗いの青年と握手をしようと、左に向きを変えたその時でした。

22口径のリボルバーが立て続けに火を吹きます。
もんどりうって倒れ込むロバート。
小口径とは言え、一発は頭に命中していました。
青年がロバートの頭に手を差し伸べてそっと持ち上げた時、冷静な口調でこう言ったといいます。
「みんな大丈夫か?」

その年の11月、パリのスタジオでヨーロピアン・リズム・マシーンによる『ホェン・ウィ・ワー・ヤング』は吹き込まれました。
ウッズ36歳。

「若かりし日」にボブと語り合った夢を、跡形もなく奪い去ってしまった病める大国アメリカ。
その祖国への身もだえするほどの怒りが激しく渦巻き、アルト・サックスの咆哮は14分間も続きます。

73年にウッズがアメリカに戻った時、そのストレート・アヘッドな演奏にはますます磨きがかかっていました。
年を取るほどエネルギッシュになるミュージシャンなんて聞いたことがありません。
おそらく、手のつけられないジャンキーだった師匠の、「君の人生をマットウに生きることだ。そうすれば、きっと君のサクソフォンは素晴らしい音を出すだろう」というアドバイスを忠実に守った結果でしょう。

ウッズの力量はすでに師匠を上回るほどになっていましたが、なぜかジャズシーンにおける彼の評価は今ひとつ。
その理由は、ウッズが白人だったからではないでしょうか。
ジャズ評論家の間には、黒人差別に対する反動で「逆差別」が蔓延っているような気がしてなりません。

「好きな音楽は?」と聞かれて、はたと困ったことがあります。
というのは、私は音楽には2種類しかないと思っているからです。
それは「人を感動させる音楽」と「そうでない音楽」です。

私にとって「好きな音楽」というのは、厳密に言うと「そうでない音楽」の部類に入ります。
感動までには至りませんが、「気楽に聴ける音楽」が私にとって「好きな音楽」です。
一言で言えば「エンタテイメント」です。
流行り廃りもあるでしょう。
リラックスして楽しく聞き流すこともできます。

しかし、感動を与えてくれる音楽というのはちょっと違います。
大げさに言うと、その音楽を聴く時には「覚悟」のようなものが必要です。
風呂上がりにビールを飲みながら聴くというわけにはいきません。
その代わり人生の苦しい時、つらい時にあなたを励ましてくれる、最後の最後であなたを支えてくれる「砦」のような存在です。

「人を感動させられるかどうか」という基準は、そのまま「芸術かエンタテイメントか」の基準であるような気もします。
そしてそれは、音楽に限ったことではないのかもしれません。
例えば本。

一生のうちに出会う本はかなりの数に上りますが、あなたの人生に決定的な影響を与えた本は一体何冊あったでしょうか。
そう考えると、今まで読んだ本のうちのほとんどは、エンタテイメントに分類されるものです。

もしかしたら、人間も同じかもしれません。
私たちは、毎日たくさんの人と出会います。
一生のうちに出会う人の数は膨大ですが、その中であなたの人生に決定的な影響を与えた人は一体何人いたでしょうか。

70年代の始め頃、ウッズはインタヴューに答えてこんなことを言っています。
「私に決定的影響を与えた人物は2人いる。ひとりは音楽家のチャーリー・パーカー、もうひとりは詩人のディラン・トマスだ」

ディラン・トマスは、イギリスでもっとも有名な詩人のひとり。
ウッズ同様、トマスから強い影響を受けたロバート・アレン・ジマーマンという若者は、芸名のみならず法律上の名前も変えてしまいました。
改名後の名前はボブ・ディラン。

ところで、あなたはどうですか?
あなたの人生に決定的な影響を与えた人は何人いますか?

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