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5☆s 講師ブログ

俺を懲戒処分にしろ!(4)

ビール業界に走った大激震とは、サントリーが発売した「発泡酒」です。
バブルが弾けた後の日本経済は、深刻なデフレに陥っていました。
低価格を求める消費者は、安い発泡酒に飛びつきます。
ところが、キリンの社内にはこんな声が渦巻いていました。

「発泡酒はビールではない」
「粗悪な安売り商品だ」
「キリンは品質を追い求めるべき」

キリンはかつてのアサヒと同様、完全に顧客目線を失っていたのです。
社長は、社内の反対を押し切って独断で発泡酒への参入を宣言しますが、すでにサントリーの発売からは2年の月日が経っていました。
社員の士気が高まらないためか、社長の肝煎りにもかかわらず開発は遅々として進みません。
200を超える試作品はすべてダメ出しを受けます。

業を煮やした社長は、ついに前田を呼び戻すことを決断します。
不遇を囲っていた前田は、「商品開発部」と改称された古巣のマーケティング部に部長として返り咲いたのです。
50歳を越える部長が居並ぶ中、前田は最年少の47歳。

でも、前田の目標は「出世」ではありませんでした。
消費者が求める商品を出すことでした。
それが、前田にとっては、出世よりも優先するべき「やりたいこと」だったのです。

その実現のために、前田は驚くべき手段を取ります。
出向先の洋酒メーカーから、ひとりの部下を連れてきたのです。
マーケティング部門はキリンの花形部署。
誰もが異動を希望する、キリン・エリートたちの憧れの的です。
そこに、エリートとは無縁の子会社の人間が抜擢されたわけですから、社内が騒然となるのも当然です。

でも、前田の哲学は実にシンプルなものでした。
「できる人間を使う」
外部の血の導入は、新たな化学反応を誘発します。
わずか4ヵ月という短期間で、チームは『淡麗』を誕生させることに成功しました。

『淡麗』が記録した3,979万箱というのは、『一番絞り』や『キリンドライ』の記録を全て塗り替えるほどの歴史的な数字。
さらには、グループ会社間に存在した伝統的なヒエラルキーを打ち壊したことが、後の大ヒット商品『氷結』の誕生に繋がりました。
缶チューハイが全盛期を迎える頃、キリンは窮地に追い込まれていました。

というのは、グループ内に焼酎の製造免許を持つ工場がなかったからです。
そこでキリンは、躊躇なく焼酎に代えてキリン・シーグラムのウォッカを使いました。
前田が子会社の人間を花形部署に抜擢したことで、キリン社員の意識は劇的に変わっていたのです。
これは、かつて樋口がアサヒでやったこととと同じではありませんか。

稀代のマーケターとなった前田の人望は、もはや厚いというレベルを超えて「信者」が出現するほどでした。
決して部下に優しいわけでもないのに、なぜそんなにも部下から慕われていたのでしょう?

その謎を解く逸話が残されています。
2002年に開催されたサッカーの「日韓ワールドカップ」開催にあわせて、キリンは『日本代表応援缶』をリリースしました。
中身は『淡麗』ですが、パッケージには日本代表選手達の直筆メッセージが描かれていることもあり、大手スーパーが大量に仕入れてくれるなど売行きは絶好調。

そんなある日、お客様相談室に一本の電話が架かってきます。
原材料についての問い合わせでした。
「『日本代表応援缶』には『米』が書かれていないが成分が違うのか」

この瞬間、担当者は凍りつきます。
完全なるチェックミス。
すぐに前田の元に飛んでいきます。
普段は部下のミスにはとても厳しい前田ですが、この時は報告を受けると落ち着いた口調でこう言っただけでした。

「そうか・・・、とにかく今やれることをやりなさい」

その後、会社は上を下への大騒ぎとなります。
上層部は出荷前の全缶廃棄を決定しました。
絶賛していた大手スーパーは激怒し、在庫の全量を返品してきました。

発覚から10日後、担当者は直属の上司であるリーダーとともに会議室に呼び出されます。
2人を前にして、前田は静かに口を開きました。
「俺はほんとに嫌なんやけど、お前ら懲戒処分や」

懲戒とは、本来横領などの不祥事を起こした者が受ける厳しい処分。
でも、単純ミスとはいえ会社に損害を与えたことには違いありません。
「具体的には譴責や。なので、リーダーのお前と担当者には始末書を書いてもらう」

うなだれる担当者。
サラリーマン人生が終わったと感じた瞬間でした。
懲戒処分は人事データに記録されます。
出世の権謀術数渦巻く会社にあって、これほど不名誉な痕跡が残ることは致命傷です。

ところが、前田の次の言葉を聞いた担当者は耳を疑います。

「あのなぁ、懲戒は全部で3人なんだ。俺も懲戒にしてもらった。さっき人事に頼んだところだ」

なんと前田は、自分も懲戒処分にするよう人事部に申し入れたというのです。

「人材育成は人事部の仕事のはずなのに、人を殺して平気なのか!
担当者を懲戒処分にするなら、その前に俺を懲戒にしろ!
同じ譴責にしたらいい」

人事部の幹部は狼狽えます。
今や前田は、押しも押されもしないキリンの「宝」。
その宝に傷をつけてしまっていいものか?
しかし、前田は一歩も譲りません。

ショックを通り越して感動すら覚えていた担当者は、この時確信したと言います。
「この人は本当のサムライだ」

前田は、たしかに私利私欲のない「無私」の人でした。
ゴルフや銀座の接待などは絶対に受けません。
若い頃から、相手がどんなに偉い地位の人でも、自分が正しいと思ったことは真っ正面から直言しました。
でも、それを快く思わない人間が大勢いたことも事実です。

『キリンを作った男』の著者・永井隆は、前田のことを「組織人としては敵を作りやすいタイプだった」と評します。
考えてみれば、出世を「軸」に考える人は敵を作りません。
もしかしたら、“組織人”とはそのような人のことを言うのかもしれません。

前田は後にキリンビバレッジの社長に就任しますが、複雑な派閥抗争の煽りを受けて、やがて社長の座を追われることになります。
でも、退任が決まっても平然としていたといいます。
ただひとつ残念に思ったのは、もうお客様が欲しがる商品を作れなくなることでした。

前田が徹底してこだわったのは、顧客に新しい価値や感動を提供することです。
前田はできるだけ顧客の声に耳を傾けようと、自分の席を社長室ではなく「お客様相談室」の近くに設けていました。
ここまでやる社長が他にいるでしょうか?

大企業になればなるほど、経営者は口を揃えて「お客様の声に耳を傾けることが重要」と宣いますが、ほとんどは社長室で部下の作ったペーパーに目を通しているだけです。
「お客様相談室」のことは「苦情処理部門」と捉えて、足を運ぼうともしません。
本気で顧客の声を聞こうとするなら、やるべきことはたくさんあるはずです。

前田退任の知らせを聞いたライバル会社の社長は、こんなことを呟きました。
「前田さんのいないキリンなど怖くはない」

前田の口癖は「社内事情より、お客様を第一に考えろ」でした。
それが、サラリーマンとしての前田の「軸」でした。
2020年6月、前田は急逝してしまいますが、彼の薫陶を受けた多くの部下たちが、今も次々にヒット商品を世に送り出しています。

でも、稀代のヒットメーカーはこんな言葉も残しています。
「ヒット商品で会社は変わらない。組織内の本質的な問題を隠してしまうから」

そうです。
企業が業績不振に苦しむのは、マーケットのせいではありません。
「組織内の本質的な問題」のせいです。

ところで、あなたの会社はどうですか?
「組織内の本質的な問題」とは何ですか?

あ、それからもうひとつ、大事な質問を忘れていました。
あなたのサラリーマンとしての「軸」は何ですか?

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