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5☆s 講師ブログ

雑草が日本人を作った(3)

近年の日本の食料自給率は本当に低いのでしょうか?
ついでに、これも検証してみましょう。

カロリーベースでみると、日本の食料自給率は36%です。
これは先進国では最低レベル。
確かに低いですよね。
でも、コメの自給率は100%だし野菜は80%。
それなのに、なぜこんなに低い数字になっているのでしょう?

その原因は、家畜のエサとなるトウモロコシやダイズの自給率が25%しかないことにあります。
これが全体の自給率を引き下げている理由です。

例えば鶏卵は国内産が96%を占めていますが、ニワトリのエサとなるトウモロコシなどが輸入品であるため、カロリーベースの自給率は10%しかありません。
もちろん、牛や豚も計算方法は同様です。

つまり、畜産農家が牛や豚や鶏を育てる手間暇は自給率の分子にカウントされないのです。
野菜の手間暇はカウントされますが、そもそも野菜は低カロリー。

しかも、このカロリーは私たちが摂取した熱量ではなく供給熱量の方です。
ということは、莫大な食品ロスも分母に含まれてしまいます。
コンビニなどで毎日廃棄される弁当は、推定140万食以上と言われています。

日本人一人当たりの一日の供給熱量は約2千4百万キロカロリーですが、摂取熱量は1千9百万キロカロリーですから、2割くらいが廃棄されている計算になります。
もし、摂取熱量を分母にすると、自給率は約50%まで跳ね上がります。

では、カロリーベースではなく市場価格、つまり「生産額ベース」で見るとどうなるのでしょう?
なんと自給率は67%。
悪くありませんよね。
これは先進国の平均的な数値です。

つまり、日本は決して「食料輸入大国」ではないのです。
カロリーベースで見たフランスの自給率は129%。
100を超えているということは農産物を輸出していることを意味します。

しかし、同時にフランスは農産物の輸入もしています。
一人当たりの輸入金額を見ると、日本の360ドルに対し722ドルもあります。
ほぼ倍ですよね。
ちなみにイギリスは880ドル、ドイツは851ドル。
そうです。

ヨーロッパの国々は、日本以上に食糧を輸入に依存しているのです。

そもそも、食糧を輸入することの一体何が問題なのでしょう?
食糧自給率が低くて問題だと大騒ぎしている国なんて、世界中探しても日本しかありません。

改めてマスメディアの記者に問い質したいことがあります。
カロリーベースの食料自給率が低いことの、一体何が問題なのでしょうか?

もしかしたら、どこかの省庁のプロパガンダに、まんまと乗せられているだけではないでしょうか。
メディアというのは、報道する際には必ず情報のウラを取ります。
ウラが取れない情報は報道できません。

しかし、官公庁の発表だけはウラを取る必要がありません。
つまり、省庁が発表した内容はそのまま新聞に載るのです。
もし、省庁が何らかの意図を持って統計数値を発表していたらどうでしょう。

結構怖い話だと思いませんか。
財務省による国の借金額に関するレクチャーが、何の疑いもなくそのまま新聞に掲載されているのと全く同じ構図です。

さて、そろそろ本題である雑草の話に戻ることにしましょう。
カタバミという雑草があります。
わずか数センチの小さな花を咲かせる植物ですが、草取りをしてもすぐにまた生えてくる厄介者です。

ところが、この雑草は家紋にも使われています。
ハートを3つ組み合わせたようなデザインの「かたばみ紋」は、「日本五大家紋」のひとつだそうです。
カタバミの他にもオモダカや、ぺんぺん草と呼ばれるナズナなどの雑草も戦国武将たちには人気がありました。

なぜ、武将たちは家紋に雑草を使ったのでしょう?
変ですよね。

ヨーロッパの紋章の多くは、強い動物が描かれています。
イギリスはライオンとユニコーンだし、アメリカ合衆国の国章はワシ。

ところが、徳川家の家紋は三つ葉葵です。
三つ葉葵のモデルは、フタバアオイという林間に生える大変地味な多年草。
そう言えば 、日本の皇族の紋章はキクです。

なぜ、日本人は強い動物でなく、弱い植物を好むのでしょう。
もしかしたら、戦国時代の日本人は、戦いに勝つことよりも戦乱の世にあっても家系を絶やさず、しぶとく生き抜いていくことの方に重きを置いていたのではないでしょうか。

アメリカの思想家で作家、詩人でもあるラルフ・W・エマーソンは、「雑草とは未だ価値を見出だされていない植物である」と言いましたが、日本人は雑草の価値に気づいた最初の民族かもしれません。

ただし、雑草について現代人が誤解していることがあると稲垣は言います。
それは「雑草魂」のことを、踏まれても挫けずに立ち上がるたくましさだと思っていることです。
雑草は、踏まれたら立ち上がりません。
その代わり、踏まれたまま横へ横へと伸びていきます。

タンポポも人に踏まれると、上には伸びずに短い茎を横に伸ばしていって花を咲かせます。
自由律俳句の種田山頭火は、「ふまれてたんぽぽ ひらいてたんぽぽ」という句を残しています。

また、踏みつけられることに強いオオバコは、種子がゼリー状の物質を分泌することで足裏にくっつき、種子を遠くまで運んでもらうという戦略をとっています。

逆境に立ち向かうのではなく、逆境に沿うように生き延びる。
環境に合わせて、しなやかに己を変えていく。
これこそが本当の「雑草魂」です。

水が豊富な場所では植物は根を伸ばしません。
なぜなら、伸ばさなくても楽に水を吸うことができるからです。

そのため、花壇に植えられた草花は日照りが続くと枯れてしまいます。
でも、雑草はもともと水を与えられないので、しっかりと根を伸ばします。
そのことが、いざ日照りとなった時に威力を発揮します。

植物学では、種を作るために費やすエネルギー率のことを「繁殖分配率」といいますが、人に踏まれる所に生える雑草の方が、花壇の花よりも繁殖分配率が高いそうです。
環境が厳しければ厳しいほど、植物は自らのエネルギーを大切なこと、すなわち子孫を生き延びさせることに集中させます。
雑草のたくましさとは、本当はこの事ではないでしょうか。

広島に原子爆弾が落とされた時、今後75年間は草木が生えないだろうと言われました。
ところが、翌年の春あちこちに雑草が芽吹きます。
結城一雄という人が爆心地の近くを歩き回り、87種類もの雑草を見つけたことを記録に残しています。
雑草は、見事に子孫を生き延びさせたのです。

大雨、洪水、地震、噴火。
日本の自然環境は極めて過酷です。
その自然と真正面から対峙するのではなく、逆に自然を受け入れて最後は味方にしてしまう。

変化と戦うのではなく、変化を生きる糧とする。
雑草の生き方を一言で表すなら、「変えられないものは受け入れる」です。
いや、正確にいうと「受け入れるしかない」です。

どうです?
日本人の生き方と相通じるものを感じませんか。

稲垣栄洋は、ある農家の人の言葉が忘れられないと言います。
「農業には、あきらめる心とあきらめない心が必要だ」

あきらめる心とは「変えられないもの」を認識することで、あきらめない心とは「変えられるもの」を見つけることです。
「変えられないもの」を知ることは、とりも直さず「変えられるもの」を見つけることに他ならないのです。

でも、グローバルなビジネス競争に晒されている日本の企業を眺めていると、何だか焦って全てを変えようとしているように思えてなりません。

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