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5☆s 講師ブログ

病気の意味

この年になると、病気で入院したり手術する友人の話をよく聞きます。
私自身も医師から塩分制限を言い渡されて、食事には結構不自由しています。
大盛りラーメンを腹いっぱい食べられたらどんなに幸せでしょう。
今となっては叶わぬ夢です。

日野原重明は、言わずと知れた聖路加国際病院の元院長。
105歳で亡くなる直前まで、元気に医療や執筆活動をしていたことでも有名です。
また、京都帝国大学医学部に、現役で合格した秀才でもあります。
如何にもエリート医師街道まっしぐらというイメージがありますが、実はスタート時点で大きな挫折を味わっていました。
大学入学後間もなく結核を患い、療養生活を余儀なくされたのです。

当時の日野原青年は大変な負けず嫌いで、勉強でも何でもとにかくトップを疾走しなければ気が済まない、という野心の持ち主でした。
それが、自力ではトイレにも行けないほどの重病になってしまったのですから、どんなに意気消沈したことでしょう。
朝、目が覚めた時は、今日こそは熱が下がるかもしれないと淡い期待を抱くのですが、夜になると再び絶望の淵に突き落とされる毎日。

一生懸命真面目にやっているのに、なぜ病気にならなければいけないのか。
神様はなぜこんな試練を与えたのか、と悶々とする日々が続きます。
やがて夜も眠れなくなり、遂には強いうつ状態に陥ってしまいます。
それでも、母親が4時間おきに湿布を替えてくれたおかげで、1年後にはなんとか復学できるまでになりました。

しかし、同級生たちに大きく遅れをとってしまったことで、今度は劣等感に苛まれます。
その都度、大病に罹ったことを憎み、恨みました。

日野原が、大病を患うことの意味に気づいたのは卒業後しばらく経ってからのことです。
それは、自ら病気を体験したことで、患者の悩み、苦しみ、痛みがわかるようになったということです。

それからというもの、長期の療養をしている患者を回診する時は、必ず患者の手を握り、肩に手をおいて「本当によく耐えておられますね」と、心から声をかけるようになりました。
もし、若い時の闘病経験がなかったら、患者の気持ちを理解することなど到底できなかったでしょう。
人は、挫折を経験することで、弱者に共感する能力を得るのですね。

医師になるために、とりわけ臨床のエッセンスを得るためには、自分も病気を患うことがとても重要なことだと気づいた日野原は、後に医学生や看護師を目指す若者に対して、「死なない程度の病気を経験してほしい」と訴えるようになります。

日野原は、フランス革命期の政治家でありながら哲学者でもあったメーヌ・ド・ビランの名言を紹介しています。
「健康は私たちを外のものに連れて行き、病気は私たちを私たちの内に連れ戻す」

健康な人が日常生活において、「自分が存在している」ことを感じる場面はほとんどありません。
あまりに当たり前のことだからです。
健康な人は、「命とは何か」を追求することよりも、「命を享楽する」ことに没頭します。
人は、病気になって初めて、「私という存在」を意識し始めるのです。

健康を失いたくはありませんが、健康を失うことで気づくこともたくさんあります。

自分は何のために病気を治そうとしているのか。
病気を治したその先に、どんなことが待っているのか。
どんなことがしたいのか。
どんなことをすべきなのか。
自分がこの世に生を受けた意味とは何か。

病気は、瞑想の機会なのかもしれません。

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