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5☆s 講師ブログ

ブンヤ暮らし三十六年(2)

 

Tの懇願を受け、永栄は仕方なく経済部長の自宅に電話します。
するといきなり、「どういうつもりかね、仲間を週刊誌に売って。T君が泣いて電話してきたよ」と叱責されます。
事情がわからず戸惑う永栄に、「とにかく仲間を売るようなことは止めてくれ」と告げるや否や、電話は一方的に切れました。

 

すぐにTに電話して「何を言ったんだ」と尋ねても、「何かあったのか?お前から聞いたことを話して『心配いりません』と言っただけだ。お前には感謝している」という返事しか返ってきません。
「ごまかすな!泣いて『同期に売られた』と電話したそうじゃないか」と詰め寄っても、「嘘だ。そんなこと、絶対に言ってない」
結果、真夜中の住宅街に怒鳴り声が延々と響き渡る事態となりました。

 

人事が絡むと、普通の会社以上に奇々怪々、魑魅魍魎の世界になってしまうのが新聞社。
その権謀術数の複雑さについては、どんな敏腕記者をもってしても真相解明はできないでしょう。
でも冷静に考えると、取材対象者から未公開株を分けてもらうというのは、記者としては絶対に許されない行為のはず。

 

いくら、部長にとって覚え目出度い部下であったとしても、経済犯罪に手を染めた人間を、「仲間を売るな!」と庇い立てするのは、マスコミ人として、というよりも人間として明らかにモラルに欠けています。
でも、「この部長は特殊なケースだろう」などと思ってはいけません。
なぜならこの経済部長は、最後には朝日新聞社の社長にまで上り詰めたのですから。

 

しかし社長就任後、『週刊朝日』が消費者金融の武富士から名目の立たない広告費5,000万円を、「濡れ手にアワ」状態で受け取っていたことが発覚し、この社長の命運は尽きます。
この時、『週刊文春』の取材に対して、自分の口から“ただもらい”であったことを認めますが、“ただもらい”という言葉もマスコミ用語なのでしょうか。
私には、「口止め料」のようにしか見えませんが・・・。
しかも、命運尽きたと思われたこの元社長は、今でも社内に隠然たる派閥勢力を保ちながら、キングメーカーとして暗躍しているそうです。

 

とにかく、この業界は謎が多すぎます。
新聞は「社会の木鐸」などと言う前に、まず自分の「会社の木鐸」を目指すべきではないでしょうか。

 

日本新聞協会の発表によると、2018年10月時点の新聞の発行部数は約3,990万部と、前年比で見ると222万部も減少しました。
これはピークだった1997年のちょうど3/4。
その分、電子版でリカバリーしているから大丈夫だろうと思うのは大間違いです。

 

なぜなら、電子版の広告単価は、紙媒体とは比較にならないくらい安いからです。
そもそも新聞社のビジネスモデルは、購読料収入と広告収入がちょうど半々というもの。
購読料収入は販売店網の維持のため消えてしまうので、実質的には広告収入の方が新聞社経営の命綱。

発行部数の減少というのは、広告単価の値下げ圧力に繋がりかねない重大事態でもあります。

 

そのため、かつては「押し紙」といって、地域住民の購読数を大幅に上回る部数を販売店に押し付けて、見かけ上の発行部数が多くなるように偽装してきた黒い歴史があります。
いや、今も行われているのかもしれませんが、何せ「押し紙」を記事にする新聞記者がいないので実態がよくわかりません。
こんな人たちに、やれ「データを改竄したのはけしからん」とか、「コンプライアンスが徹底されていない」などと言われたくないと思うのは私だけでしょうか。
そして、水増しによって得られる莫大な広告収入が、新聞記者のバカ高い給料を支えてきたのです。

 

しかし、インターネットの出現で、広告を取り巻く環境は大きく変わりました。
もし、あなたが会社の広報担当なら、どの層がどれだけ読んでいるかよくわからない新聞広告に、貴重な会社の予算を投入しようと思いますか?
いずれにせよ、新聞というメディアの行く末が茨の道であることは間違いありません。

 

最後に、永栄の『ブンヤ暮らし三十六年』から、とても印象的なシーンをひとつご紹介して終わりたいと思います。
秩父セメント社長などを歴任した諸井虔(けん)と言えば、その見識の高さから経済界では一目も二目も置かれる存在でした。
リクルート事件の報道が佳境を迎え、多くの財界人の口が次第に重くなっていく中、諸井の存在は逆に異彩を放ち始めます。
刎頸の友とも言うべき江副を手厳しく批判するだけでは飽き足らず、未公開株を受け取った他の財界人にまで批判の矛先を向けたからです。

 

ところがそんな時、驚くべき情報がもたらされます。
それは、諸井自身も未公開株を受け取っているというものでした。
ネタ元に取材しても進展が得られなかったため、もはや諸井に直当たりするしか手はありません。
予想通り、永栄の質問に対して「100パーセントない。あるはずがない」との全面否定が返ってきます。
しかしその後、諸井がリクルートの未公開株で、1,000万円の利益を得ていたことが朝日新聞に掲載されます。

 

諸井の言い分はこうでした。
「自分が認めたら、世の中の人が経済人を信用しなくなる。だから言うわけにはいかなかった」

 

この話を聞いた日本興行銀行の元頭取・中山素平は、諸井に電話して永栄に直接謝罪するよう諭します。
永栄が指定された新橋の料亭に出向くと、なんと諸井は、いきなり畳に額を擦りつけて詫び始めたではありませんか。
慌てて、負けじと額を畳に擦りつける永栄。

 

それまでの、世間を欺くような諸井の言動は決して許されることではありませんが、財界の重鎮とまで言われた大物が、しがないブンヤに土下座までするというのは、なかなかできることではありません。
思い出すだけで胸くそが悪くなるリクルート事件ですが、このエピソードには何だか一服の清涼剤のようなものを感じてしまうのは、いけないことなのでしょうか。

 

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