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5☆s 講師ブログ

本質を見抜く目

今年は穏やかに暮らしたいと思っていたのに、新年早々我慢ならない出来事がありました。

朝日新聞の第1面に、「経済成長は不要である」という趣旨の記事が載ったというのです。

早速WEBで全文を読みましたが、記事を書いた論説委員の、
経済学に関する知識があまりにお粗末なことに唖然としました。

記事のポイントを抜き出すとこうなります。

「私たちは、経済成長を当たり前のものと考えているがそうではない。

給料が増えることを前提に人生設計するのも間違いだ。
ゼロ成長は悪ではない。
日本にはミシュランの三つ星店がたくさんあるし、宅配便のおかげで生鮮品も簡単に手に入る。
温水洗浄便座の普及によりトイレも快適だ」

実に的はずれな駄文の最後を、この論説委員はこう締め括ります。

「四半世紀にわたるゼロ成長を経験した日本人は、低成長を当たり前として受け入れはじめ、
身の回りでは『楽しいことが多い』人が増え、『いやなことが多い』人が減った。

成長の鈍化は経済活動の正常化を意味しているのかもしれない」

随分ふざけた内容ですが、朝日新聞を購読していない私がなぜこの記事の存在を知ったかと言うと、
掲載の翌日放送された複数のラジオ番組で、徹底的に批判されていたからです。

宮崎哲弥や荻上チキといった普段は極めて冷静な論客たちが、これほどまで怒りを露わにするのは非常に珍しいことです。

そもそも、少しでも経済学を勉強した人ならば、基本的な知識である「オークンの法則」を知っているはず。

「オークンの法則」とは、実質GDP成長率が低下すると、失業率が上昇するというものです。
つまり、成長率と失業率の間には、負の相関関係があるということです。

この相関係数は「オークン係数」と呼ばれ、実績データを回帰分析することによって求められます。

スティグリッツは、現代の代表的な経済学テキストとも言える『マクロ経済学 第2版』の中で、
ジョンソン大統領の経済諮問委員会委員長だったアーサー・オークンが算出した係数は、「2」であったと論じています。

つまり、失業率が1%下がれば産出量は2%増加するということです。
逆の言い方をすると、産出量を2%増加、つまり2%高く成長させないと、失業率を1%低下させることはできないということです。

ただ、これは国や時代によって異なります。

クルーグマンは『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』で、日本の場合はアメリカよりずっと小さな動きであるとしながらも、
1981~91年は驚くほどこの法則が成立し、見かけの関係の傾きはアメリカの3倍の「6」であると分析しています。

また、原田泰は『日本の大停滞が終わる日』の中で、1980~2000年は「5.5」だったと論じています。
バブルがはじけた後もおなじような相関が生じていたわけです。

野口旭と岡田靖は『金融政策の機能停止はなぜ生じたのか』という論文で、1980~2001年においては
「失業率の変化=-0.1174×(実質GDP成長率)+0.4555」という関係式を導き出しています。
この論文は、岩田規久男・宮川務編『失われた10年の真因は何か』という専門書に収められています。

最近経済学の本を読んでいないため古いデータばかりで恐縮ですが、
高橋洋一は1990~2015年の平均の係数は「0.7」であると分析しています。

いずれにせよ、実質GDP成長率が潜在成長率を下回ってしまった場合、
本来失業しなくても良かったはずの人々が職を失うことになります。

つまり、「経済は成長しなくてよい」という主張は、
「どれだけ失業者が増えようが構わない」と主張する事に他なりません。

どうしても「経済成長不要論」を主張したいというのであれば、
まず自分が失業してから、失業生活というものがいかに快適なものか論じるべきです。
ただし、失業してもミシュランの三つ星店で食事したり、全国の生鮮品を気軽に取り寄せられるのかはわかりません。

例え自分は安定した地位にいたとしても、失業者や非正規雇用者など低賃金労働者のことに思いを馳せることができないならば、記者など辞めるべきです。

さて、経済学からの反論はこのくらいにして、今度はビジネスの視点から考えてみましょう。

この論説委員は「ゼロ成長は悪ではない」とあっさり言ってのけましたが、ゼロ成長、すなわち前年と同じ実績をあげることだって決して簡単なことではありません。

ビジネスでは必死に頑張っても前年実績を割り込む、すなわちマイナス成長に終わることだって多いのです。

2015年10月の『赤の女王仮説』で、同じ場所に留まるためには、全力で走り続けなければならないという話をしました。
もしかしたら朝日新聞は、全力で走らなくても前年実績が自動的に確保される仕組みを持っているのかもしれません。

でもよく考えてみると、朝日新聞の業績を支えているのは、記者ではなく新聞拡張員です。

記者が素晴らしい記事を書いたお蔭で発行部数が飛躍的に伸びた、
つまり新聞社が高成長したと言う話は寡聞にして知りません。

ただし逆のケースはあります。

一昨年朝日新聞は、慰安婦に関する“世紀の大誤報”によって大幅に部数が落ち込み、
社員の年収が引き下げられました。
なぜ、給料やボーナスのカットという方法がとられたかと言うと、もともと新聞記者は高給取りが多いからです。
一般企業なら、間違いなく人員削減に踏み切らざるを得なかったでしょう。

大手新聞社の記者という職業は失業とは無縁なので、このような記事が書けたのかも知れません。

しかし、逆風に晒されている朝日新聞の販売店や拡張員の人たちは、一体どんな気持ちでこの記事を読んだのでしょう。

私は今まで、日本のマスメディアにはジャーナリズムとしての矜持がないことを何度か批判しましたが、
今回はそうではありません。

ジャーナリズムを云々する以前の問題です。

この記事は、科学性・論理性・客観性を一切無視したもので、経済学を始めとする社会科学や自然科学、
さらに言うなら人々の豊かな暮らしを目指している、すべてのビジネスや学問を否定しかねないものです。

内容的には、本来ツイッターで発信されるべき低レベルのもので、
SNSがなかった時代なら文学青年たちの同人誌に掲載されるのが相応しいものです。

それが正月の第1面に堂々と掲載されてしまったのです。
私は、この新聞社のガバナンスに関して、重大な危惧を抱かざるを得ません。

簡単な思考実験をしてみましょう。
もし、日本経済新聞が正月の1面に「経済成長不要論」を掲載したらどうなるでしょう。

読者である多くのビジネスパーソンは、新聞社の姿勢に対して疑問を抱き、購読のストップを検討し始めるはずです。
朝日新聞では、その程度の議論もなされなかったのでしょうか。
あるいは、朝日の読者には難しいことは分かるはずがないと、見くびっていたということでしょうか。

日本を代表する新聞社のひとつなのですから、今後は「できるだけ失業者を少なくするためには」という、
原点に立ち返って経済記事を書いてほしいと思います。

なぜなら、経済学が目指している目標もそれだからです。

経済成長というのは、そのための手段なのです。

それにしても、新聞記者という人たちは、なぜあんなにも経済学の知識が乏しいのでしょうか。

以前、唯一の例外である長谷川幸洋の著書を読んでいて、「なるほど!」と得心したことがありました。

ジョンズ・ホプキンス大学大学院で経済学を学び帰国した長谷川は、真っ先に東京駅に向かいます。

そして、八重洲のブックセンターに行き、経済学の棚にあった本を端から端まで全部読んだと言うのです。

正しい経済学を学ぶ最良の方法はこれです。

とにかく片っ端から本を読むことです。
トンデモ本であろうと専門的な学術書であろうと、まずは手当たり次第に読むのです。
そして、内容が理解できなくてもいいから、とにかくノートに書き取っていくことです。

私の経験から言うと、コツコツとノートを取っていれば、100冊くらい読み終えたあたりで、
どの学者が正しいことを言っているかおおよその見当がつきます。

あとは、その見識の高い学者たちの著書を集中的に読み込んで、ノートのページを増やしていけばいいだけの話です。

学者でも記者でもない私ができたのですから、それで飯を食っている人に出来ないはずがありません。

基礎学力をつける努力をせずに、人から聞いた話だけでお手軽に記事を書き上げるなど論外です。

新聞というのは、様々な事実を記事として掲載することで成り立っています。

しかし、事実というのは所詮「現象」に過ぎません。

辞書で「現象」の反対語を引くと、「本質」と書いてあります。

記者が書く記事はあくまで「現象」に関することですが、
その「現象」の裏側に存在する「本質」を見抜くだけの見識眼を持って、「現象」をレポートするべきです。

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