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5☆s 講師ブログ

言葉はいつ手に入れた?

カエルは、目の前を飛ぶ虫を実に器用に捕まえます。

でも、止まっている虫を捕まえることはできません。

飛んでいる虫より、止まっている虫を捕まえる方が楽なのにと思いますがそうではありません。

なぜなら、カエルには止まっている虫が見えないからです。

視覚のしくみは、実に複雑で興味深いものです。

人間の場合、止まっているものに反応する細胞と、動いているものに反応する細胞の両方があるので、
止まっているものも動いているものも両方見えます。
私たちは普段、目に映ったものを「見た」と判断しますが、
この時脳の中ではまるでコンピュターのように実に複雑な活動が行われているのです。
まず目から入ってきた様々な情報は、要素別にいったんバラバラにされます。
要素というのは色の情報、形の情報、動きの情報などです。

次に、バラバラにした情報を今度はシグソーパズルのように組み合わせていきながら、
全体像を再構成していくのです。

スマホで動画を撮影する場合と対比してみましょう。

スマホの動画は、映像を1枚1枚の静止画としてコマ撮りして、
そのコマをパラパラ漫画のようにコマ送りすることによって、
あたかも動いているかのように見せているのは皆さんご存知ですよね。

映画のフィルムならば1秒間に24コマ、テレビでは30コマですが、
スマホの場合は何コマに設定するかをアプリで指定できるものもあるそうです。

私たちの脳も同じことをやっています。
例えば、一本の棒が倒れる様子を見ているとき、脳の中で何が行われているか見てみましょう。

脳の中には、傾きを感知する細胞がズラリと並んでいます。
それぞれが、わずかな傾きに対応しています。
棒が倒れるにつれて、これらの細胞が順番に反応していきます。
つまり、その傾きごとの映像がコマ撮りされるわけです。

ただ、私たちの脳がスマホとちがうのは、この時私たちの脳に記憶されるコマには、
モノの形だけしか写っていないということです。
色の情報は写っていません

色はどうなっているかというと、カラーの画像は別撮りなのです。

これを、先ほどの静止画のパラパラ漫画をやるときに、同時にパラパラやって重ねていくのです。

こんな複雑な作業を、私達の脳は瞬時にやってのけているのです。

司っているのは視覚野という部位ですが、実は第一次視覚野から第五次視覚野まで分かれていて、
それぞれの視覚野が形や色や動きの認識を分担しています。

もし第二次視覚野に障害が起こると、画面から色だけが消えて、
いわゆる白黒テレビになってしまいます。

もっと困るのは、MT野というところに障害が起こったときです。

動きがわからなくなるのです。

先ほどのカエルとまったく逆で、止まっているものは見えますが、動いているものが見えなくなります。
わかりやすく言うと、パラパラ漫画がところどころで止まってしまい、何枚飛ばしかでしか提示されないのです。

つまり、この人の脳のスクリーンには、ある時点での静止画が映し出されます。

視野に入るものがすべて止まっていれば問題ありませんが、
その中で動くものがあるとその物体は消えてなくなります。

そして、一定時間が経つとまた最新の静止画に切り替わるので、
そのときは物体が動いた後の状態が映し出されます。

例えば、カップにコーヒーを注ぐ時を考えてみましょう。

コーヒーがカップに注がれはじめた映像が見えたと思ったら、
次の瞬間にはコーヒーがカップからあふれている映像が飛び込んできます。

もっと困るのは、道を歩いているときです。

遠くに見えた車が次の瞬間には自分のすぐそばに来ていたりします。
とても危険ですので、重度の視覚障がいに分類されています。

この人が日常生活で困ることがもう一つあるのです。
何だと思いますか?

大変不思議な話ですが、それは人と会話することです。
人と面と向かって話す時、相手が何を言っているか理解できないのです。

断っておきますが、聴覚は問題ありません。

ラジオから流れる音声は問題なく聞こえます。
それなのに、面と向かっての会話だけがうまくいかないのです。

謎解きをしましょう。

この人は動いているものが見えませんので、
相手の顔の表情の微妙な変化がわかりません。

いわば、のっぺらぼうと会話しているような状態なのです。

実は私達は、人と会話するときに、相手の表情の微妙な変化を観察することによって、
無意識のうちに相手の感情を推し量ったりしているのです。
そして、耳から入ってくる情報とそれを突き合せして、相手の言わんとするところを察しているのです。

なぜこんな複雑なことをやっているのでしょう?

ヒトがサルから進化し始めたのは、今から450万年前です。
ところが、言葉を手に入れたのはつい最近の10万年くらい前と言われています。

ということは440万年もの長い間、私たちの祖先は言葉なしで、
表情や声のトーン、さらには身振り手振りによってコミュニケーションをとっていたことになります。

今、450万年を1年という単位に置き換えて考えてみましょう。

言葉を手に入れたのが1年のうちいつ頃かというと、12月24日のクリスマスイブです。
正月からクリスマスイブまでの長い間、言葉なしの生活だったわけです。

だから、相手の表情の微妙な変化を一生懸命観察して、
相手の言わんとするところを推察する能力が発達したのです。

なぜなら表情には、真っ先に感情が表れるからです。

ところが最近困ったことが起こっています。

メールです。

特に若い人は、面と向かって話すのが苦手だという理由で、文字を介してコミュニケーションをとろうとします。

ヒトが最初に文字を手に入れたのは、紀元前3100年のシュメール象形文字です。

紀元前3100年というのは、先ほどの1年のモノサシでみると12月31日の大晦日の午後6時頃。
紅白歌合戦が始まる直前の辺りです。
その頃になって、人類は文字というコミュニーションツールをようやく手に入れたのです。

しかし、文字が人々に普及したのはもっと後です。

日本だって、多くの人が文字が読めるようになったのは明治時代になってから。

そう考えると、文字が普及したのは大晦日の夜11時59分59秒頃、
つまり1年の最後の最後の1秒前辺りなのです。
それまでの長い長い間、私たち人類は文字なしで他人と意思疎通を図ってきたのです。

文字で感情を伝えることは不可能ではありませんが、とても難しいことです。
それができるのは、おそらく小説家などのごく一部の限られた人でしょう。

メールによるコミュニケーションよりも、面と向かってのフェイス・トゥ・フェイスによる意思疎通の方が
もともと人類の得意分野なのです。

やはり、感情をもっともよく表わしているのは顔の表情です。

その証拠に、若い人ほどメールでやたら顔文字を使うではありませんか!
もっとも私が顔文字を全く使わないのは、携帯の操作がよくわからないという理由からですが・・・

ところで、ひとつ謎が残ります。
なぜ人類は十万年前のある日、突然言葉を手に入れたのでしょうか?

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