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5☆s 講師ブログ

炎える母

40年以上、あえて読むことを避け続けてきました。
理由は、あまりに凄惨な詩だからです。

宗左近の『炎える母』は、たったひとつのテーマ、
すなわち母親が生きたまま焼き殺されるというテーマで貫かれた、
300ページにも及ぶ長編詩集です。

敗戦が、誰の目にも明らかだった1945年3月10日。
連合軍がこの日決行したミーティングハウス2号作戦は、それまでの東京空襲とは違い、
極めて低い高度から大量の焼夷弾を投下するというものでした。
わざわざ風の強いこの日を選び、しかも木造家屋が密集する下町をターゲットにしたのは、
明らかに火災の延焼効果を狙ったものでした。
作戦はものの見事に的中し、東京は見渡す限りの焼け野原となります。
たった一晩で10万人を超える死者を出すという、歴史的な戦果を挙げたのです。
こんなとき指揮官は、どんな風に振る舞うのでしょう?
お互い満面の笑みで、ハイタッチを交わすのでしょうか?
人を殺すということは、一体どんな種類の“喜び”を伴うものなのでしょうか?
彼らにとって10万人の死は単なる統計にすぎませんが、
肉親を亡くした者にとっては、決して忘れることのできない凄惨な悲劇です。

宗の母親もまた、その東京大空襲の炎に包まれた一人です。

しかも我が子の目の前で。

炎の一本道の上に、母は倒れて、つっぷしています。
その顔をもちあげてきます。その右手をあげます。

夏蜜柑の実みたいな顔です。夏蜜柑の枝のような右手です。
どちらも炎えています。
そして、右手をこちらへ押しやるのです。二度も三度も四度も。
『行け、走りぬけなさい、わたしにかまうな』と。
 その姿ははっきり、ぼくの目に焼きつきます。
だが、ぼくの身体は、その姿をあとにして、そのまま、走り去るのです・・・。
         (『絆━ドキュメント・わが母』より)

『だが、』という言葉が表すとおり、「助けなければ」という理性の叫びとは裏腹に、
少年はまるで何かに弾かれたかのように、猛烈なスピードで逃げ出してしまいます。

走っている 

とまっていられないから走っている 
跳ねている走っている跳ねている 
わたしの走るしたを 
わたしの走るさきを 
燃やしながら 
焼きながら 
走っているものが走っている 
走っている跳ねている 
走っているものを突きぬけて 
走っているものを追いぬいて 
走っている
        (『走っている』より) 

しかし、どんなに速く走っても、記憶の中に焼きつけてしまった、

炎える母の鮮明な映像だけは抜き去ることができませんでした。

狂っていたのではなかった 

間違いなく科学の法則にのっとっていたから 
ここちよく伸び縮みする炎の舌が 
なめまわしくるみこもうとしているのだった 
あおむけにひらかれた母の身体を 
そのなかにないわたしの裸のこころを

ワタシハハハヲオキザリニシタ

母が両腕をひろげてさしのべると 

すばやく炎はその裸体のすべてでまつわりついた 
母が呻いて身をくねらすと炎の裸体は 
青く喘いで透明な血の管を耀わせた 
わたしのとじた瞼の裏でそれは瞼を震わせて

ワタシハハハヲミゴロシニシタ

         (『炎のなかの白』より)

神を失った戦後の日本で、母を“置き去りにし、見殺しにした”という自責の念が、

彼を底なしの地獄に突き落とします。

許しを求めるとは救われたいという願いです 

救われない死んでもなお救われない 
ということを 
わたしの殺したあなたがわたしのなかで炎え続けている
 (略) 
わたしに神がないからには 
母よあなたにも神がない 
ともども炎えあって一つの炎の玉となって 
二十二年の虚空を転がってきたわたしとあなた
ああ今こそわたしは信じなければならないのだろうか 
この何もない日本の青い闇こそ地獄 
救われるとは地獄へむかって解放されることに他ならない 
だれもいないから悪魔の手によって
        (『許されない』より)

救えなかったことを悔いる者がいる一方で、殺戮した者たちは笑顔でハイタッチを繰り返します。

何という不条理!
これが戦争というものです。
しかし、遺された者たちには、自ら死を選ぶ道さえ許されていません。

生かしておけない 

わたしはわたしを 
なぜならわたしは 
わたしを生んだものを 
殺してしまったのだから 
生かしておけない 
けれどもわたしは 
わたしを殺さない 
わたしを殺すことは 
わたしを生んだものを 
もう一度殺すことになるのだから
       (『生かしておけない』より)

私が長い封印を解いたのは、その日から70年が経過し、

今もっとも戦争に近い場所まで来てしまっていると感じるからです。

マスコミの幹部が、国会に呼び出され追及されます。

マスコミを懲らしめたい政治家がいます。
新聞社を潰したい作家がいます。

生きながらにして焼き殺される惨劇。

その可能性だけを言っているのではありません。
笑顔でハイタッチを交わす方の側にまわる可能性だってあるのです。

敗戦から11年後の1956年の経済白書は、戦後の目覚ましい復興が完了したことを、たった一言で表現しています。

「もはや戦後ではない」

今、改めて、この言葉の意味を噛み締めます。

ただし、少しばかりの補足をつけて。

「もはや戦後ではない。すでに“戦前”なのかもしれない」

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