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5☆s 講師ブログ

法学は学問か?

前回、生活者に学問の中心部分を譲ろうとしている学問があると述べました。
それは『法学』です。

ご存知のように、早ければ来年から「裁判員制度」がスタートします。
もちろんこの制度は、学校で法律を学んだことのない人でも裁判員として指名されます。
いわば法律のド素人でも、人を裁く側に回されてしまうのです。
それどころか、「私は法律の知識がないからイヤだ」と拒否した人にはペナルティが課せられます。

人を裁くとか、量刑を決めるというのは、この学問にとってもっとも重要な部分ではないのでしょうか。
その部分を、法学という学問を一度も勉強したことのない一般市民に委ねるというのなら、この学問の存在理由は一体どこにあるのでしょうか。

これを経済学で例えるならば、わが国の金利水準をどうするかについて、日銀の政策決定会合ではなく街角の主婦や新橋のサラリーマンにインタビューして決定するようなものです。

私は、全国に法学部や法学科を設置している大学がどのくらいあるか知りません。
そして、そこで高い授業料を払って学んでいる学生がどのくらいいるかも知りません。
もっと言えば、そこで教鞭をとることによって生活費を得ている教員がどれくらいいるかも知りません。

この学生や教員たちの存在理由はどうなるのでしょうか。

確かに諸外国でも、一般市民が裁判に参加する例は決して稀ではありません。
判決に当って、純粋な法律論だけでなく、一般市民の「感情」を考慮に入れることはとても大切なことです。
しかし、諸外国のほとんどは、有罪か無罪かの判断だけだったり、比較的軽い犯罪に関するものばかりです。

日本の裁判員制度の場合は、いきなり殺人などの重大犯罪を裁きます。
しかも有罪か無罪かだけでなく、なんと懲役何年といった量刑まで決めてしまおうというものです。
当然、「死刑」かどうかの判断が求められる事案も対象になります。

もしあなたが裁判員に選ばれて、死刑にするかどうかの判断を求められたとしたらどうしますか?
法律論が一体どうなっているかなど一切関係なく、判断を下すことができますか?
もしできるというなら、そもそも法律論などこの世に必要がないということになってしまいます。

「死刑」というもっとも重大な判断を、すなわち法学という学問の中心部分を、法律のド素人に委ねるという国は世界に例がありません。

私は、改めて、法学関係者に問いたいのです。
「法学は学問か?」

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