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5☆s 講師ブログ

醤油とトリチウム(4)

多田は、今回のALPS処理水放出を非難している国に対して、強い憤りを感じると言います。
というのは、1950年代から60年代初頭にかけて、国連の安全保障理事会の常任理事国が、大気圏内での核実験を繰り返し実施していたからです。

この実験により、大気中にはとてつもない量のトリチウムが放出され、地球上のトリチウムの総量は飛躍的に増加しました。
計算したら、なんと24✕(10の19乗)ベクレル。
24の後に0が19個もつきます。
もう、何の位だかわかりません。

福島原発が1年間に放出するトリチウム量は22兆ベクレルですから、その1千万年分に相当します。
加えて、核実験ではトリチウムよりもずっと危険な放射性同位体も一緒にバラ蒔かれていました。
日本の処理水放出を云々するのなら、その前に過去に行った核実験の謝罪があって然るべきでしょう。

「ゼロコロナ」のように「ゼロベクレル」を主張する“ド文系”人間もいるそうですが、その人の体内にも放射性同位体は存在しています。
どうしても「ゼロベクレル」を実現したいのであれば、まずは自分の存在を消すことから始めるべきです。

そもそも私たちは、放射線に限らず何らかのリスクに曝されながら生活しています。
だから、リスクと共存していくしかないのです。

新型コロナの流行が問題になった2020年春、日本高等学校野球連盟(高野連)は甲子園の選抜大会の開催を中止しました。
その理由は、「新型コロナに感染するリスクを完全に排除できないから」というもの。

問題なのは、「リスクを完全に排除する」という考え方です。
それまで「熱中症のリスク」には一顧だにしなかったくせに、なぜコロナの感染リスクだけ完全に排除しようとしたのでしょう。

リスクは他にもたくさんあります。
甲子園に向かうバスが事故に遭うかもしれないし、宿舎の食事が原因で食中毒になることだってあり得ます。
そもそも、あの小さくて硬いボールが140キロを超える猛スピードで飛び交ったり、時には頭に当たったりするのです。

そのリスクはどう評価しているのでしょう?
なぜ、コロナのリスクだけ「完全に排除」しなければならないと考えたのでしょう?

そもそも、私たちの身の周りにヤマほど存在するリスクは、「完全に排除」することができないものばかりです。
だから、「ゼロリスク」の実現など絶対に不可能です。

身近な話でいうと、私たちが食べている白米には、微量ではありますが「ヒ素」が含まれています。
毎日100グラムの白米を食べている人は、日々11マイクログラムのヒ素を摂取していることになります。
1マイクログラムとは、1グラムの100万分の1のことです。

ヒ素と聞くと怖い気がしますが、体重70キログラムの人が毎日100グラムの白米を生涯食べ続けると、ガンになるリスクがどれくらい高まるかというと、たったの0.055%だそうです。

あなたはこの数値をどう評価しますか?
0.055%のリスクを恐れて、明日からお米をやめますか?

やめませんよね。

私たちはもっと科学的にならなければなりません。
でも、どうしたら科学的になれるのでしょう?
どうやったら理系的思考ができるようになるのでしょう?

多田は、理系人間の思考法には二つの特徴があると言います。

①論理的に考える
②定量的に考える

「定量的」とは、物事を数値化することです。
先ほど、白米を食べ続けることによるガンのリスクを数値で示しましたが、まさにそういうことです。

一方、デマに流されやすい“ド文系”人間は、あらゆることを「○か✕か」の二元式で捉える傾向があると多田は指摘します。
○✕式で捉えることは、自分の頭で考えるのを拒否することに他なりません。

でもよく考えると、自然科学に限らず身の回りで起こる出来事のほとんどは、二元式では答えられないものばかりではありませんか。
だから、「○か✕か」ではなく、「程度問題」として捉えることが重要です。

常に「どの程度か」とリスクを定量的に数値化し、その上で自分の頭で評価するクセを身につけることです。

ところが、マスメディアは今日も「安全・安心」を連呼しています。
まるで、なんとかの一つ覚えのように。

しかし、そもそも「安全」と「安心」は、本来全くの別物のはず。
「安全」は、リスクの程度を定量的に数値化することで、判断基準を作ることができます。

一方、「安心」は心の中の問題です。
心の中は人によって違います。
だから、二人以上の人間がいれば、その時点でそれぞれの安心の基準は異なります。

なので、リスクを定量的に数値化することはできません。
「安心」を科学で証明することは不可能なのです。

しかし、困ったことに日本のマスメディアは、あくまでも心の中の「安心」に拘ります。
その結果、「科学的に安全だと言われても、本当に安心できるのか心配だ」という、訳のわからない街頭インタヴューを平気で流したりするのです。

なぜ、風評「被」害が生まれるかというと、風評「加」害者がいるからです。
今回の福島の処理水の風評「加」害者は、明らかにマスメディアでした。
「科学を隠れ蓑に使うな!」という社説を掲載した新聞社などは、二度と加害者にならないよう猛省してもらいたいものです。

でも、科学的な数値では安心を得られないという人は、どうしたら心からの安心が得られるのでしょう?
ひとつだけ方法があります。

それは「宗教」です。
何でもいいからとりあえず宗教に入信して、ひたすら祈ることです。
霊験あらたかな壺でも買えば、もっと効果があるかもしれません。
「安全」は「科学」の守備範囲ですが、「安心」は「宗教」の領域です。

もう一度言います。
「安全」と「安心」は全くの別物です。
同じ括りにすることは絶対にできません。

マスメディアは、まずこの「国語」の問題に気づくべきです。
簡単に気づけるはずですよ。
なぜなら、これはあくまで“文系”の問題ですから。

 

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