株式会社ファイブスターズ アカデミー

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5☆s 講師ブログ

あの有名な

社会人になって数年が経った頃、上司に銀座のバーに連れていってもらいました。
なんでも銀座が焼け野原だった頃からやっているとのことで、三人いるバーマンの中でもっとも若いという人と話したら、還暦をとっくに過ぎていました。
55歳が定年だった頃なので、大変驚いたことを覚えています。

なぜかカウンターの立ち席が大人気で、そこが空くまでのつなぎとして椅子席で飲むという、今思えば少し変わった店でした。
それから結構な時が経ち、管理職になっていた私は、近く結婚するという若手を連れて再び訪れます。
そのとき、彼が注文したのが『ザ・フェイマス・グラウス』。

手ごろな値段のブレンデッド・ウィスキーです。
彼の妻になる人は国際線のキャビン・アテンダントでしたが、ロンドンのフライトの帰りには必ずこのウィスキーをお土産に買ってくるのだそうです。
興味を引かれて飲んでみると、確かにうまい!

コストパフォーマンスは一、二を争うと言ってもいいでしょう。

グラウスとはハイランド地方の山野に生息するスコットランドの国鳥、雷鳥のこと。
ラベルにもイラストが描かれています。

かつて、ヴィクトリア女王がハイランドのカントリーライフを好んだことから、当時の上流階級の間では避暑にハイランド地方を訪れることがブームになっていました。
ゴルフや釣りだけでなく、雷鳥狩りも流行っていたそうです。
そこに目をつけた、三代目のマシュー・グローグのマーケティング戦略が見事に当たったわけです。
この戦略はバーボンの『ワイルドターキー』も同じですよね。

雷鳥のデザインをしたのは、初代マシューの娘フィリッパ。

実はこのウィスキー、1897年に発売した当初は『ザ・グラウス・ブランド』という名前でした。
ところが、人々はこの名前では呼ばずに、「あの有名な、雷鳥のウィスキーをくれ!」と注文するのです。
そこで、思い切って名前を変えてしまったというわけです。

秀逸な広告コピーも人気に拍車をかけました。
“Mellow as a Night of Love・・・ One Grouse and You want No Other!”
「夜をともにする恋人のようにメロウな味わい・・・ 1杯のグラウス以外、何もいらない!」

70年代に経営権が売却され、それまでの家族経営から国際企業に生まれ変わると、売上高は10年間でなんと10倍に。
今では世界80ヵ国以上に輸出され、スコッチの売上としては常にトップ10にランクインするほどの有名ブランドになりました。

その知名度を最大限に利用したのが、生涯で28,899匹のネズミを捕まえたことで有名な、猫のタウザー君の銅像があるグレンタレット蒸留所。
『グレンタレット』が『ザ・フェイマス・グラウス』のレシピに使われているのをいいことに、蒸留所を「ザ・フェイマス・グラウス・エクスペリエンス(体験所)」と名付けてしまいます。
でも、『ザ・フェイマス・グラウス』のキーモルトとして知られているのは『グレンロセス』、『タムドゥー』、『ハイランドパーク』、『マッカラン』など。

グレンタレット蒸留所の生産量と『ザ・フェイマス・グラウス』の売れ行きを考え合わせると、『グレンタレット』が使われている量は極めて少量のはず。
厚かましいというか、何というか。

ところが、この試みが大成功。
観光客が大挙して押し寄せ、スコットランド観光局のファイブ・スターを獲得してしまいます。
こういうのを「商売上手」というのでしょうね。

『ザ・フェイマス・グラウス』のように、誰もがいつかは「あの有名な」と言われるようになりたいもの。

思えば、あのバーもそうでした。
銀座コリドー街の「クール」と言えば、皆「ああ、あの店ね」と言うほど有名でした。
しかし、2003年11月、マスターが米寿を迎えたのを機に、55年の歴史に幕を降ろしてしまいます。

店名の「クール」は、“COOL”ではなく、緑色のパッケージの煙草“KOOL”からとったもの。
なぜ「緑」に拘ったかというと、マスターの名前が古川緑郎だからです。
13歳から銀座のバーで丁稚奉公を始めた古川は、32歳の時に「クール」をオープンします。

バーマンの一人、根岸は古川の妻の弟。
ホールで働く三人の女性は、古川の妻とその妹、そして根岸の妻。
だから、あんなにもアットホームな雰囲気だったのですね。
店を出る時に「いってらっしゃいませ!」と声をかけられるのも、今となっては懐かしい思い出です。

土日は店が休みでしたが、古川は家で座っている方が疲れると、上野の鈴本あたりによく出かけていたそうです。
咄家の「間」が、客との会話の呼吸を勉強するのに役立つのだとか。

客同士が話をしている間は決して口を挟まない。
それが古川の哲学でした。

彼を慕う若手のバーマンは大勢いましたが、仕事の前に店を訪ねても絶対に飲ませてもらえませんでした。
でも、休みの日に出直すと「よく勉強してください」と励しながら酒を提供し、お代は一切受け取らなかったそうです。
この人間性こそ、古川が皆から慕われていた理由です。

2017年に出版された川畑弘の『BAR物語』に、彼を師と仰ぐあるバーマンの評が載っています。
「どうでもいい人にはソフトなことしか言わないけれど、思うところのある人にはダイレクトに、しかもサラリとものの道理を教えてくれる。この“サラッと言う”までになるのが大変なんだけど、そうして若いバーテンダーを見守って育ててきた」

おそらく、この“サラッと言う”ことにも、「間」が関係しているのでしょう。
この話は管理職の時に聞きたかったです。

古川緑郎という人物は、ウィスキーの世界では「有名」のレヴェルを超えて、もはや「伝説」の域に達しているのですね。

 

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