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5☆s 講師ブログ

射殺されたトランペッター(1)

1956年秋、フィラデルフィアにやってきたディジー・ガレスピー楽団は、困った事態に直面します。
トランペッターが1人脱退したのです。
急場凌ぎに地元ミュージシャンを起用しますが、この時抜擢されたのは神童と呼ばれる18才の若者でした。

自身もトランペット奏者であるディジー・ガレスピーは、すぐさま彼の類い希な才能を見抜き、トランペッターの腕の見せ所ともいうべき曲『チュニジアの夜』を、この若者にスポットが当たるように編曲し直します。

迸る無鉄砲な若き情熱と、それとは裏腹に時折バラードで見せる、憂いを帯びた陰影の濃い哀愁とのコントラストは一躍ジャズシーンの注目を集め、その年の11月にはブルーノートに初のリーダー・アルバム『リー・モーガン・インディード!』を吹き込むこととなります。
翌日には、今度はサヴォイで『イントロデューシング・リー・モーガン』を、そして4週間後には再びブルーノートで『リー・モーガンvol.2』を録音します。

57年だけでも、ブルーノートにおけるリーダー作が4枚、サイドメンとしての参加が17枚というのは、新人としてはギネスものと言えるでしょう。
ただその背景には、前年6月にクリフォード・ブラウンが自動車事故で夭折したため、時代が次なる”トランペット・センセーション!”を待ち望んでいたという事情もありました。

神童エドワード・リー・モーガンは、1938年ペンシルバニア州フィラデルフィアに、4人兄弟の末っ子として生まれます。
羊毛工場に勤める熱心なジャズファンだった父親の影響を受け、14歳の時にトランペットを手にします。
この時代の若者たちと同様、憧れの的はマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピー。
ところが、ある日クリス・パウエル&ブルー・フレイムズというR&Bバンドのレコードを聴いて、雷に打たれたような衝撃を受けます。
モーガンがやりたかったスタイルが、そこにあったのです。
早速、そう遠くないデラウェア州ウィルミントンに、そのトランペッターを訪ねました。

男の名はクリフォード・ブラウン。

なんのことはない、「神童」が目指したのは「天才」だったというわけです。
思えばクリフォードが世に出るきっかけも、49年に彼の地元を訪れたディジー・ガレスピー楽団のトランペッター、ベニー・ハリスが時間になっても現れなかったため、急遽19歳の若者に白羽の矢が立ったことでした。
よく似てますよね。
何にせよ、周りから「逸材」と呼ばれるミュージシャンは、1回のチャンスを確実にモノにするものです。

傑作の呼び声高い57年3月の録音、『リー・モーガンvol3』に収められた『アイ・リメンバー・クリフォード』は、クリフォード・ブラウンの死を悼んでベニー・ゴルソン(テナー・サックス)が手掛けた名曲。
ゴルソンは、ガレスピー楽団で一緒だったこの若き後輩にレクイエムの解釈を託したのでした。
このバラードは数多くのジャズ・ミュージシャンが演奏しているスタンダード・ナンバ―ですが、聴くだけで涙を誘うのはやはりバド・パウエルでしょう。
バドのピアノが奏でる切々とした旋律の裏側には、事故車に同乗していた実弟のリッチー・パウエル(ピアノ)への想いも込められているのですから。

飛ぶ鳥を落とす勢いのリー・モーガンは、ベニー・ゴルソンからアート・ブレイキー(ドラムス)率いるジャズ・メッセンジャーズに誘われます。
思えばハイスクール時代の夏休み、フィラデルフィアを訪れていたこのグループに、2週間だけ期間限定で参加して以来のこと。
断る理由がありません。
モーガンはピアノのボビー・ティモンズに声をかけます。
なんと、ベースのジミー・メリットを含め、新生ジャズ・メッセンジャーズのうちブレイキーを除く4人が、ジャズ・ミュージシャンの宝庫とも言えるフィラデルフィアの出身ということになります。

そういえば、高内春彦(ギター)によると、彼のボスだったジョー・ジョーンズJr(ドラムス)は、ハーレムの小中学校時代、マーチングバンドの花形スネア・プレイヤーだったそうです。
なにせ父親はカウント・ベイシー楽団の一員。

うまいはずです。
ところがしばらくすると、フィラデルフィアから転校してきた、これまたジョー・ジョーンズと名乗る同姓同名の少年に栄光の座を奪われてしまいました。
2人のジョー・ジョーンズを、どうやって呼び分けたらいいものか。
後に、モーガンの初リーダーアルバムにも参加することになるこのドラマーは、フィラデルフィアから来たという理由で、フィリー・ジョー・ジョーンズと呼ばれるようになります。

さて、モーガンに話を戻しましょう。
この頃のジャズ・メッセンジャーズは、『モーニン』や『ブルース・マーチ』などの大ヒットを飛ばして、ファンキー・ジャズという新しいジャンルを切り開きます。
まさに、ジャズ史に残る絶頂期を迎えたわけです。
モーガンはそのグループの花形トランペッターとして、八面六臂の大活躍をしました。
それだけではありません。

代表作『キャンディ』を始め、数多くのリーダー・アルバムをリリースしました。
裾の短いパンツと、ボタンダウンのシャツに細身のネクタイ。

そのカッコ良さはジャズファンのみならず、女性ファンや都会の不良少年たちの憧れの的にもなりました。

しかし、短期間のうちに膨大なアウトプットを続けていると、必ずと言っていいほど内的な金属疲労が蓄積するものです。
しかも周囲の期待というのは、同時に重圧でもありました。
やがてモーガンは、この時代お決まりのコース、すなわちジャンキーへの道へと転落していくのでした。

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