株式会社ファイブスターズ アカデミー
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10代で読んだ椎名麟三の『生きる意味』は衝撃的でした。
若い頃の椎名は、信じていた思想を失ったことで生きることに絶望し、首吊り自殺を試みます。
工場から持ってきた荒縄を、小屋のような部屋の屋根裏に渡した横木にかけ、土間から畳の部屋に上がる框に立ち荒縄に首をかけます。
そして、恐る恐る片足を、上がり框から離します。
さあ、次はもう片方の足です。
もう片方の足を、上がり框から離しさえすれば楽になれるのです。
ところがどうしたことでしょう。
不思議なことにもう片方の足と上がり框が、まるで何かで接着したかのようにどうしても離れないのです。
右足が離れたら、左足が離れてくれない。
足を替えて左足が離れたと思ったら、今度は右足が離れてくれない。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、尿意を催してきます。
垂れ流しはみっともないからと、勝手な理屈をつけて用を足しに行きます。
それで、その日は首吊りを思いとどまるということの繰り返し。
なぜ、片方の足が上がり框から離れてくれなかったのかはわかりませんが、椎名がこの回想録の題名を『生きる意味』としたのは示唆的です。
私も時々「生きる意味」を考えることはありますが、この年になってもさっぱりわかりません。
そもそも正解はないのでしょう。
でも、考えることこそが大事なのです。
ユダヤ人の強制収容所の体験を書いた『夜と霧』の作者ヴィクトール・フランクルは、生きる意味に関してこう述べています。
「苦難と死は、人生を無意味なものにしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです」
AIには、苦難も死もありません。
というより、人生そのものがありません。
「意味」を考えることの重要性について、もう少しわかりやすく解説してくれたのは批評家の若松英輔です。
『いきていくうえで、かけがえのないこと』の中にこんな記述があります。
「さわることはできないが、存在する、そういうものは私たちの身の周りにたくさんある。悲しみ、嘆き、悦び、希望もその一つである。
感情だけでなく、そうしたものは日常生活のなかにも散見できる。たとえば、意味がそうだ。言葉が意味するものにさわることはできるが、意味そのものにさわることはできない。しかし意味は、人の心を震わせる。
私たちは意味にさわることはできないが、確かにふれている。花を贈られる。花に手でさわるのは簡単だ。しかし、その花が意味するものに本当にふれるには、少し準備がいる。受け取る方も心を開かなくてはならない。そうしないと、手に物質を引き受けただけになってしまう。人は、世界を手でさわり、心でふれている。それは人生の意味においても同じである」
深いですよね。
私には、今の子どもたちにとって重要なのは、グルコースだとかデンプンだとかという問題に正解することではなく、贈られた花の意味を考えることのように思えてなりません。
なぜなら、意味に心を震わせることができるのは、人間だけなのですから。
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