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5☆s 講師ブログ

一族皆殺し(1)

その朝、明け方の5時を期して、ロバート・キャンベル大尉率いる120名の兵士たちは任務を決行します。
任務とは、ハイランドの雄として知られるマクドナルド一族の皆殺し。
スコットランドに今も語り継がれる「グレンコーの虐殺」です。

1688年に始まる名誉革命で、カトリックのジェームズⅡ世の国外追放に成功し、妻のメアリーⅡ世と共に新たにイングランド王位についたプロテスタントのウィリアムスⅢ世にとって、最大の悩みの種は今なおハイランド地方に巣喰うジャコバイトでした。
ジャコバイトとは、「ジェームズ」のラテン読み。

このことからも、彼らが追放されたジェームズⅡ世の熱狂的な支持者であることがわかります。

ウィリアムスⅢ世はジャコバイトを一掃するため、プロテスタントで組織したイングランド軍をネス湖に近いインヴァネスに派遣します。
1689年6月、ジャコバイトは「キリークランキーの戦い」でイングランド軍に一矢報いますが、夥しい数の犠牲者を出したため以後その勢力は衰退の一途を辿ります。
人類の歴史を振り返ってみると、宗教によって命を救われた人の数よりも、宗教によって命を落とした人の数の方が多いのではないでしょうか。

ここで、ハイランド地方の状況についてちょっと説明しておきましょう。
ハイランドとは文字通り「高地」のことで、スコットランドの北部に当たります。
一方、南部は「低地」になっていることからローランドと呼ばれます。

ローランドは気候がよいため農業も盛んで、エディンバラやグラスゴーなど早くから都市化が進み、それにつれて他の産業も発展しました。
やがてこれらの都市には王宮や修道院、大学などが集中するようになり、文化の中心地としても繁栄します。

一方、ハイランドの方は寒冷多雨。

牛と羊の放牧以外にめぼしい産業はありません。
しかも、深い谷と入り江に遮られた険しい立地は、まるで人の立ち入りを拒否しているかのようです。
この閉鎖的な地形こそ、ハイランドに宗教改革の波が及ばなかった最大の理由でした。

名誉革命によって、プロテスタントの国教会が勢力を得たイングランドやローランドの人々にとって、ハイランドはカトリックという「邪教」の蔓延る「化外(けがい)の地」として忌み嫌うべき存在でした。
彼らの目には、迷信深く教育水準も低い上に独特のゲール語を話すハイランド人は、理解不能な「野蛮人」として映ります。

クラン(氏族)という家系を重んじ、どんなに貧しくてもクランに対する絶対的な忠誠心を忘れない、「無頼の民」であることもまた大きな謎のひとつでした。
また、イングランド王の統治が行き届かない治外法権であることをいいことに、牛泥棒を繰り返す「ならず者」として、軽蔑の対象でもありました。

ところが、ひとつだけ畏敬の念を抱いていたことがあります。
それは、彼らがとんでもない「強者(つわもの)」であるという事実です。
当時、ハイランドのジャコバイトたちは、スイス兵と並び称されるほどの屈強な兵士としてその名を轟かせていたのです。

ウィリアムスⅢ世は、「キリークランキーの戦い」の敗北以降は正面衝突を避け、様々な策略を巡らしてハイランドの攻略を試みます。
まず、多額の買収資金を投入して、ジャコバイトたちの懐柔を図りました。
しかしこの策は、懐柔を一任されたアーガイル伯ジョン・キャンベルが、資金のほとんどを横領してしまったため失敗に終わります。
そもそもハイランドでは全く人望がない、キャンベルという人物に白羽の矢を立てたこと自体が間違いの元でした。

一方で、別の手も打ちます。
1691年8月にお触れを出すのですが、それは翌年の1月1日までに王に対して恭順の誓いを立てるならば赦免とするが、さもなくば「銃火と剣」が待っているという内容でした。
この1月1日という設定が絶妙なのです。
放牧の季節はバラバラに過ごす一族も、厳しい冬を迎えると1カ所に集まって春の到来を待ちます。
つまり冬は、不意打ちによって武力制圧するには絶好の季節なのです。

グレンコーに居を構え、ジャコバイトの中では最も勇敢なクランのひとつであるマクドナルド一族の氏族長マッキアンも、この提案を受け入れるかどうかで大いに悩みます。
多くのクランが署名に応じる中、このカリスマ氏族長は大晦日の前日になってようやく受け入れを決意します。
この時、猛吹雪をついて山を降りるマッキアンには、この提案の裏側に狡猾な罠が仕組まれていることなど知る由もありませんでした。

やっとのことで麓のインヴェロキーに着いたマッキアンにもたらされたのは、署名の場所は130キロ南のインヴェラリであるという知らせでした。
悪天候の中インヴェラリに到着した時には、日付は1月2日に変わっていました。
でも、ウィリアムスⅢ世の悪知恵はこれに留まりませんでした。
今度は、州長官が不在という理不尽な理由で待たされます。

マッキアンが署名を済ませたのは、それから4日後の1月6日。
ウィリアムスⅢ世は、この遅れを逆手にとって誓約は無効であると決めつけ、密かに「銃火と剣」によるマクドナルド一族の征伐を決定してしまいます。

そして、迎えた2月2日。
密命を帯びたロバート・キャンベル大尉率いる120名の部隊が、税務調査という名目でグレンコーの村に入ります。
ハイランドでは、客人を歓待するという伝統的な習慣がありました。
10日間に渡る盛大なもてなしを受けた後の11日目、急峻な谷に護られた小さな村に運命の朝が訪れます。

部隊に下された命令は、「70歳以上の老人を除く、全ての男女を殺害せよ」というもの。
ところがこの時、隊長のキャンベルも予想していないことが起こっていました。

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