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5☆s 講師ブログ

ドリトル先生は切り裂き魔(1)

イギリス出身のアメリカ人作家ヒュー・ロフティングの代表作『ドリトル先生』は、動物の言葉を話せる獣医が世界中を旅する物語。
そのモデルとなった人物は、ロンドン郊外の広大な屋敷で、確かにドリトル先生同様多くの動物たちと暮らしていました。

しかし、彼にはもう一つ別の顔がありました。
それは、身の毛もよだつほど猟奇的な、解剖学者としての顔です。

生涯で解剖した遺体の数は数千体に及びますが、「切り裂き魔」と呼ばれた理由はそのことだけではありません。
遺体の中には、墓を掘り起こして手に入れたものが多数あったからです。
この男をモデルにした小説がもう一つあるのですが、その題名を聞くと男の異常性が少しだけ理解できます。

それは、ロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』。

今回の主役、解剖学者にして天才外科医のジョン・ハンターは、1728年スコットランドはグラスゴーの農家に生を受けます。
子供の頃はいわゆる学習障害児で、学校には行かず野山を駆け回っていました。
ハタチの頃大工を目指しますが、勤め先が倒産してしまったため、やむなく頼ったのが10歳年上の兄ウィリアム。
ウィリアムはグラスゴー大学出身の外科医でしたが、一方で外科医を養成するための、解剖学の学校を経営する実業家でもありました。
この学校で、ハンターは助手として働き始めますが、この時代の外科医療は非常に未熟なものでした。

そもそも、人体を切り開いてその内部に触れるという行為は、中世以来タブーとされていました。
そのため、長い間外科手術は医師ではなく、理髪業者の仕事だったのです。
18世紀に入り、ようやく外科医という職業が認められますが、その地位は内科医に比べるとかなり低いものでした。
外科医が世間から認められるためには、とにかく実践経験を数多く積み重ねて、技術に磨きをかけることしかありませんでした。
ウィリアムは、そこに目を付けて専門学校を作ったのです。

しかし、そこには重大な障害がありました。
解剖用の遺体が不足していたのです。
とりあえず処刑された罪人の遺体を片っ端からかき集めますが、必要な数には到底及びません。
ハンターは倫理観に欠けるきらいがあり、目的のためなら手段を選ばない性格でした。
そんなハンターが手を組んだのが墓泥棒。

彼らの活躍で、ロンドンは「切り裂きハンター」の噂で持ちきりとなりますが、なぜか逮捕されることはありませんでした。
というのは、取り締まる法律がなかったからです。
おかしな話ですが、当時は墓を掘り返して遺体から衣服や宝石を奪うことは犯罪でしたが、遺体そのものの盗難を禁じる法律はありませんでした。

大工になるほど手先の器用なハンターのことですから、遺体の調達係だけでなく、解剖の助手まで任されるようになるのにさして時間はかかりませんでした。
ハンターはメキメキ腕を上げ、ついに陸軍の外科医に任命されます。
「異端児」も度が過ぎるほど徹底すれば、オセロの石がひっくり返るように「正統派」に変わることもあるのですね。

ところが、ハンターは単なる解剖狂ではありませんでした。
現在、イギリス王立外科医師会の建物の中に設けられた、ハンターの名を冠した「ハンテリアン博物館」。
そこには、ハンターが自分の屋敷内に開設していた博物館の収蔵品が多数展示されています。

世界中から集められた珍しい動植物の他に、人体の骨格標本やホンマリン漬けの臓器なども多数展示されています。
実は、その中に奇妙なものが混じっています。

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