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5☆s 講師ブログ

孤高の人

「俺のソロのバックでピアノを弾くな!」

やっとのことでヘロイン中毒から立ち直り、
精力的にレコーディングをこなしていたマイルス・デイヴィスの嗄れ声が響き渡ると、
スタジオ内の空気が凍り付きました。

マイルスの視線の先にいたのは、モダン・ジャズ史上最も難解なピアニスト、セロニアス・モンク。

こうして1954年12月24日、歴史に残る名曲、Fのブルース『バグス・グルーヴ』は録音されたのでした。
後にマイルスは、この時の様子を批評家のナット・ヘントフにこう語っています。

「モンクの演奏スタイルやモンクが書いたオリジナル曲は好きだった。

しかし、オレのバックで演奏されるのには我慢できなかった。
邪魔なだけだからだ」

この超個性的な演奏をするピアニストを最初に見い出し、
自分のグループにレギュラーメンバーとして迎い入れたコールマン・ホーキンスでさえ、当時をこう述懐します。

「毎晩自分に問いかけたものだよ。

自分のバンドなのに、何でおれはもう少し普通のピアニストを雇わなかったんだろうって」

初めてモンクのピアノを聴いた人は、間違いなくこう思うはずです。

「なんて調子っぱずれなんだ!」

はっきり言って、その不協和音のオンパレードに耐えるのは、なかなかの苦痛です。

それでも長い修行の後には、
「極北でとれた硬い氷を、奇妙な角度で有効に鑿削っていくような」という、
村上春樹の好意的な比喩がなんとなく理解できる域には到達できます。

モンクがこのユニーク極まりない演奏スタイルを身につけたのは、
ハーレムの7番街にあった「ミントンズ・プレイハウス」。

客足が伸びないことに悩んだオーナーが思いついたのは、飛び入り自由というジャム・セッションでした。

これが大評判を呼びますが、第二次世界大戦の激化に伴い若手ジャズメンまで兵役に取られるようになると、
飛び入りの名乗りをあげるのが実力ある者ばかりとは限らなくなります。

そこで、未熟者をステージに寄せ付けないために、モンクやソニー・クラーク、チャーリー・クリスチャンらは、
わざと入り組んだ複雑なリズムや、意表を突くコードを多用して目眩ましをかけたのです。

ここに至り、ミントンズのステージはジャズの一大実験場の様相を呈するようになりました。

その最先端に身を置き、ギャラには全くなびかず、
音楽的な一切の妥協を拒みひたすらオリジナリティを追求していたモンクは、
その当然の報いとして長く“食えない”時代を過ごすことになります。

それでも1945年1月、フィラデルフィアでマックス・ローチと盛大なコンサートを成功させました。

しかし、その直後に警官たちがクラブに雪崩れ込んできます。
証明書の提示を拒んだモンクは拘束されてしまいました。

その時です。

一人の若いファンが戸口に立ち塞がり、警官たちの行く手を阻みました。

「お前たちは世界でいちばん偉大なピアニストを虐待している」

と男が叫ぶのと、その頭に稲妻の如く警棒が振り下ろされるのは、ほぼ同時でした。

こうして、モンクの無二の親友であり、後にビ・バップを代表するピアニストとなるバド・パウエルが、
その後不吉な頭痛を訴え続ける原因が作られたのです。

さらには、クリードモア病院で過ごした3ヵ月の間に、様々な精神活性薬物を投与され、
バドは生涯に渡り精神的な疾患に悩まされます。

もし、この時バドが殴られなければ・・・という仮定はあまり意味がありません。

なぜなら、代わりにモンクが殴られていただけのことだからです。

これが当時の、黒人を取り巻く環境でした。

モンクの父親は、警察署長だったにも関わらずです。

マイルスとのセッションの後、モンクに再びスポットライトが当たるには、1957年まで待たなければなりません。

「ファイブ・スポット・カフェ」に雇われ、週に6晩演奏するようになると、ニューヨーク中のミュージシャンがこぞって押しかけます。

時代がついに、難解な書物を紐解く手掛かりを見つけたのです。

あれほど冷淡だった批評家たちが、新譜が発売される度にこぞって好意的なコメントを書く頃には、
人気投票のトップに選ばれるまでになります。

この年の春、麻薬が原因でマイルス・デイヴィスのグループを解雇され、失意のどん底にいたジョン・コルトレーンに誘いの手を差し伸べたことは、
コルトレーンにとっても、またモダン・ジャズの歴史にとっても非常に重要なターニング・ポイントとなりました。

しかし、絶頂期というのは長続きしないもの。

鮎川信夫の言葉を借りれば、まさに「短かった黄金時代」。

翌年の秋、パノニカや、テナー・サックス奏者のチャーリー・ラウズらが同乗した車で立ち寄ったデラウェアのモーテルで、決定的な事件が起きてしまいます。
モンクはそこで一杯の水をもらおうとしただけなのですが、
突然現れた黒人の大男に驚いたオーナーが警官を呼んでしまいます。

車に戻ったモンクはハンドルにしがみつき、このような扱いを受ける謂われはないと必死の抵抗を試みますが、
やがて車から引っ張り出され、殴られ、両手をひどく叩かれました。

パノニカが「この人はピアニストだから」と手を叩くのを止めるよう必死に懇願している最中、
なんと車のトランクからマリファナが見つかります。

幸いなことに、その持ち主がモンクであると立証できなかったため、薬物の不法所持には問われませんでしたが、
その代わりにニューヨーク市のキャバレーカードを取り上げられてしまいます。

このカードがなければ、今後ニューヨークの店では演奏ができません。

そこでモンクのマネージャーは、人種差別的要素があったとして公聴会を開くよう要求しました。

キャバレーカードを取り戻す絶好の機会が訪れたわけです。
しかし、モンクはそこでとんでもないことを口走ります。

「警官の中に、あなたのことを『ニガ-』と呼んだ者はいなかったか」
というマネージャーの誘導尋問に、あろうことか「ノー」と答えてしまったのです。

「その言葉は聞いていません。
しかし彼らの振る舞いは異様でした」

何ということでしょう!

バカがつくほどの正直さ!

いかなる時も、自分の内なる正義に従う“孤高の人”、セロニアス・モンク。

2年に渡る警察本部へのロビー活動の末、ようやく現場に復帰したモンクはその後ヨーロッパでブレイクします。

アムステルダムのラジオ局に残されたインタビューに、彼の人生観を垣間見ることができます。

「ミスター・モンク、演奏に関してあなたが最も強い影響を受けた人は誰ですか?」

「ああ、もちろん、私自身だ」

孤高であるということは、とてつもない孤独に耐えるだけの強い意志を持つということです。

その影響か、晩年は父親同様に精神を病んでしまったモンクは、こんな名言を吐きました。

「いつだって夜なんだ。
さもなければ光など必要あるまい」

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