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5☆s 講師ブログ

心配ないさ

故郷に向かう列車がスピードを落とし、左に大きく弧を描いて、やがて青々とした森の中へと入ろうとした時でした。
イヤホンから流れていた音楽が、明るい曲調に変わります。

ウィントン・ケリーの『イッツ・オール・ライト』。

ケリーは、15才でR&Bのピアニストとしてプロのキャリアをスタートさせますが、
その後女性シンガーのダイナ・ワシントンの伴奏者やディジー・ガレスピーのバンドを経て、
マイルス・デイヴィスに見出されます。

「ケリーは煙草につける火のような存在だ。彼なくして煙草は吸えない」

マイルスにそこまで言わしめたケリーは、ジャズ史を塗り替えるような数々の名アルバムに参加するうちに、
やがてジャズシーンには欠かせないピアニストに成長します。

自分のグループを立ち上げた時に、ポール・チェンバースやジミー・コブといった錚々たるメンバーが
ケリーのもとに馳せ参じたのは、おそらく彼の人間的な魅力も関係しているのでしょう。

ダイナ・ワシントンとはかなり“いい仲”でしたが、彼女がジミー・コブと結婚した後でも、
何事もなかったかのようにジミーとの友情は続いたそうです。

これもケリーの人間性の成せる技か。

と言うより、ダイナ・ワシントンは生涯に8回も結婚した“強者”だったので、
ジミーも細かいことはあまり気にしなかったのかもしれません。

ケリーの影響を受けたのは、メンバーだけではありません。

1961年、ニューオリンズの病院で、ひとりの女性が元気な男の子を出産します。

その母親は、将来ケリーのようなジャズメンに育ってほしいという願いをこめて、ウィントンという名前をつけました。

その18年後、アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズで、
トランペッターとして衝撃的なデビューを飾ったのは、あのウィントン・マルサリスでした。

でも、母親がウィントンの名前をつけることに、父親は反対しなかったのでしょうか。

なぜなら、父親のエリス・マルサリスだってジャズ・ピアニストだったんですから。
まぁ、それくらいケリーが偉大だったということでしょうか。

彼と同様、30代で早世したボビー・ジャスパーのフルートで始まる代表作『ケリー・ブルー』は、
題名の割りには実に飄々とした印象を与える名曲です。

そう、ケリーには「飄々とした」という形容がピッタリくるのです。

マイルスやコルトレーンといった大御所を向こうに回しても、一切気負うことなく
あくまで自分のスタイルに忠実に飄々とプレイします。

また、どんなにブルージーな曲を演奏しても、どことなくユーモラスで“ライト・バース”を感じさせるのは、
彼がジャマイカ生まれということも関係しているのでしょうか。

思えば、銀座泰明小学校近くの『ジャズ・カントリー』も、夕方のバータイムの口開けに、
よくこの『イッツ・オール・ライト』をかけていました。

この曲は、どんな時でも聴く者を元気にしてくれるから不思議です。

ケリーが耳元で

「大丈夫!心配ないさ。なんとかなるよ」
と囁いてくれているような、そんな気がするのです。

そうだ!

そんなに深刻になる必要なんてないんだ。
人生なんて、なるようにしかならないものさ。

大切なことは、頭の中で思い悩むことではなく、その時自分にできるベストを尽くすことなんだ。

だって神様じゃない限り、それ以上のことはできないんだから・・・。

列車が左に傾いた分、反対側の窓から初夏を思わせる日差しが差し込んできます。

危篤の知らせを聞いて千々に乱れていた私の気持ちも、少しだけ落ち着いたような気がしました。

それから49日後。
同じカーブに差し掛かった時に手元のウォークマンを操作して、ブックマークから『イッツ・オール・ライト』を呼び出します。

「大丈夫!心配ないさ。どんな結果だったとしても、得るものはあったでしょ」

今度は、そんな風に聞こえます。

すっかり緑を濃くした車窓には、優しかった母への感謝の気持ちでいっぱいの、私の笑顔が映り込んでいました。

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