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5☆s 講師ブログ

智に働けば

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。

お馴染みの、夏目漱石の『草枕』の一節です。
この世が住みにくいかどうかは別として、なるほどと思うところは多いにあります。

会議などの席であまりに理論だてて発言すると、それは理屈だなどと反論を受けることがあります。
しかし、情に訴えるといっても、あまりに感情移入し過ぎると、
今度は歯止めがきかなくなり、収拾がつかなくなることもあります。

また、こちらとしては筋を通したつもりでも、意地っぱりだとか、頑固者などと陰口を叩かれたりもします。
ですので、漱石の言わんとするところは実によくわかります。

ところが、森本哲郎が知り合いのフランス人にこの意味を説明したところ、全く理解してもらえなかったそうです。
森本はこう説明したのです。
「智に働けば角が立つ」というのは、あまりに理知的に物事を処理すると、トラブルに繋がることがあるのだと。

するとフランス人は、血相を変えてこう言いました。
「なんだって!それは逆ではないのか?
物事を理知的に処理しない時にこそ、トラブルになるのではないか!」

言われてみれば、確かにフランス人の言う通りです。
理知的な解決策が不要というのであれば、法律など要らないことになってしまいます。

森本は、次に「意地を通せば・・」のくだりを説明します。
曰く、自分の意志を貫こうとすると非常に不自由な思いをする。

すると、こう反論されたのです。
「冗談じゃない!それはあべこべだ。
私たちは自分の意志が通った時、それを自由と称している。
あなたの国では、自分の意志が通ると不自由なのか?」

こうなると、もうグーの音も出ませんよね。
でも、今一度冷静になって整理してみましょう。

この有名な一節は、二つに分けられると思います。

前半は、「智と情」の話です。
分かりやすく「知と情」、あるいは「理と情」と言い換えてもいいでしょう。
これは二者択一ではなく、バランスの問題を言っているのではないでしょうか。

特に日本の場合、論理的には圧倒的に正しくとも、
ある程度相手の心情にも理解を示さないとなかなか納得が得られません。
裁判員裁判制度を導入した背景には、被害者感情への配慮ということもあったようです。

次に、後半の「意地を通せば」のくだりですが、
フランス人の言う「自由」の定義が、欧米と日本では少々違っているように思うのです。

欧米では、自分の意見をしっかり持って、それを主張することが何より大切です。
そして、その主張が認められなかった時に「不自由」と感じます。

しかし、日本では自己主張が認められたとして、はたしてそれを「自由」と感じるでしょうか?
もしかしたら、わがままなヤツだと思われたのではないだろうか、
という心配も湧いてきて居心地悪く感じたりもするものです。

これが「窮屈」の正体なのかもしれません。
自己主張が認められることも大切ですが、相手から自分がどう思われるかということも大切です。

では、日本人は一体どんな時に「自由」と感じるのでしょうか。

私の場合、自己主張が通った時ではなく、
相手もその主張に賛同して、共感してくれた時により強い安心感が得られます。
この安心感が、心の自由度を高めてくれるのです。

日本人にとっての「自由」とは、他人から解放されることではなく、
あくまで他人との関係性において成立するものではないでしょうか。

不思議なことに、手術の際に体のごく一部の細胞を切り取り、
栄養豊富な培地で培養してもすぐに死んでしまいます。

時々、短絡的な思考の人を“単細胞”などと評しますが、
人間は多細胞生物といって、多くの細胞の集まりで出来ています。

そして、周囲の細胞同士で緊密な情報連携や物質の交換を行っているのですが、
それが断たれてしまうと生きていけないということなのです。
言い換えると、細胞間での盛んなコミュニケーションが生命線ということです。

ところがあるとき、単独で生きていける、とてもたくましい細胞が見つかりました。
持ち主の名前をとってヒーラ細胞と名付けられたこの細胞には、
なんと寿命と言うものが存在せず、永遠に増殖していけるのです。

ついに人類は、不老不死の夢の細胞を発見したのです。
しかし、その歓喜が失望に変わるまで、さほど時間はかかりませんでした。
皮肉なことに、その細胞こそ「がん細胞」に他ならなかったのです。

がん細胞は、周囲の仲間とのコミュニケーションが完全に断ち切られても、
自分勝手に生きる生命力を手に入れているので無限に増殖できるのです。
ただ残念ながら、寿命がないといっても、結果として宿主である人間の命を奪ってしまうので、
その時点でがん細胞も死を迎えることになります。

思えば、絵が描けなくなり、世俗の煩わしさから逃れようとして旅に出た『草枕』の主人公が、
再びモチーフのヒントを得たのは、那美という女性が、別れた夫と不意に目があった一瞬に浮かべた「憐れ」の表情からでした。

『草枕』の有名な一節はこう続きます。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
(略)
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか寛容て、
束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

私たちは、どこまでいっても、人間関係からは「自由」にはなれないし、
また、その中でこそ、いい仕事ができるということなのですね。

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