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5☆s 講師ブログ

スコッチ・アイリッシュ(2)

1780年、ペンシルヴァニアの市民軍の士官だったロバート・サミュエルズが軍を辞め、ケンタッキーで農業とウィスキー造りに専念したところから『メーカーズ・マーク』の歴史は始まります。

当時のケンタッキーはヴァージニア州の一部でしたが、州政府は山を越えてケンタッキー・カウンティーを開拓する者にはトウモロコシを作る許可を与えるとともに、400エーカーの土地を提供することを通達しました。
スコッチ・アイリッシュが大勢入植した理由は、トウモロコシを作るというよりもトウモロコシを使ってより高く売れるウィスキーを造るためでした。

サミュエルズ一家は規模を徐々に拡大し、3代目のテイラー・ウィリアム・サミュエルズが現在の知事に当たる行政長官を努める頃には、本格的な商業ディスティラリーとして1万4千樽分のストックを保有するまでになります。

転機が訪れたのは6代目ビル・サミュエル・シニアの時。
第二次世界大戦の影響で操業を停止していた蒸留所を売却してしまったのです。
その後は持ち山の木を売ったりして生計を立てていましたが、どうしてもウィスキー造りが忘れらないシニアは、ロレットにある荒廃した蒸留所を買い取って「スター・ヒル・ディスティラリー」を始めます。

ところが、ウィスキー造りのノウハウまで売却していたため、全く新しいやり方を模索せざるを得ませんでした。
これが幸運をもたらします。
まず、原料のライ麦を小麦に変えました。
トウモロコシや大麦は近くのローマ・カトリックの女子修道院で収穫したものを、一般的なハンマー・ミルではなく古いローラー・ミルで粉にします。
熟成は昔ながらの解放棚枠の倉庫で、わざわざ人手を使って樽を循環させるという手間の掛けよう。

さらには、当時としては常識外れの6年という長期熟成をも決断します。
また、貯蔵タンクに移す際に粉末状のカーボンを混ぜるのですが、この「チャコール・メロウィング」という手法は、やり方は少し変わりますが『ジャック・ダニエル』に受け継がれています。

ちなみに、『ジャック・ダニエル』はテネシー州で造られているので、バーボンではありません。
フランスで「シャンパン」を名乗れるのはシャンパーニュ地方で造られた発泡ワインだけであるのと同様、「バーボン」を名乗れるのはケンタッキー州で造られたものだけです。
もっとも、プライドの高い『ジャック・ダニエル』の造り手たちはバーボンと一緒にされるのを極端に嫌うのですが、その話はまた別の機会に譲るとしましょう。

『メーカーズ・マーク』はマーケティングにも工夫を凝らしました。
妻のマージー・サミュエルズの趣味はイギリスの古い手作りマグのコレクションでしたが、マグの底には必ず「製造者のマーク」が刻印されていました。
これが『メーカーズ・マーク』という名前の由来です。

また、瓶詰ジャムが品質保証のために蜜蝋で密封することにヒントを得たマージーは、過去に学んだ化学の知識を生かして自宅のキッチンであの赤い封蝋を試みます。
この封蝋作業は、現在でも熟練した技術を持つ二人の女性の手で一本一本丁寧に行われているそうです。

一方、ラベルはビルの発案。
星印は蒸留所の「スター」から取ったもので、Sはサミュエルズ一家の頭文字。
周りを囲む大きな円は一家のサークルを表しますが、その線が途中で途切れているのは、かつて蒸留所を手放したために、酒造りの歴史を中断した苦い記憶を忘れないためだそうです。

でも、このバーボンのもっともユニークな点は、ビジター・レセプション・オフィスの壁に掛けられている、ある男の古い写真とコルト・アーミー拳銃だと作家の東理夫は言います。
写真の男は、拳銃の持ち主アレクサンダー・フランクリン・ジェイムズ。
1800年代後半、全米を震え上がらせた悪名高きジェシー・ジェイムズの兄です。
ジェイムズ兄弟は、銀行強盗や列車強盗で名を轟かせた大悪党。

ジェシー・ジェイムズが犯した殺人は、全部で17件と言われています。
ジェシーが世界で初めて銀行強盗に成功した1866年2月13日を記して、2月13日は「銀行強盗の日」となっているそうです。

なぜ、こんなアウトローゆかりの品を、これ見よがしに展示したりしているのでしょうか。
その答えは、隣に飾られた一通の手紙にあります。
ある市民からの「あなたがジェシー・ジェイムズと姻戚関係にあるというのは本当ですか?」という質問に答えた、7代目ビル・サミュエルズ・ジュニアの返信です。

「全く本当です。いとこのルーベン・サミュエルがジェイムズの未亡人と結婚したのです」
ジェイムズ兄弟の母ゼレルダは、最初の夫ロバート・ジェイムズとの間に、フランクとジェシーの他に妹のスーザンを授かります。
夫の死後、隣家の男と再婚しますが、ほどなく新しい夫もこの世を去ります。

その頃、最初の夫の兄が経営する店の店内で、医院を開業しようとしていたのがメディカル・カレッジで医学を学んだルーベン・サミュエル。
やがて2人は恋に落ちます。
3人の連れ子の他に4人の子宝に恵まれますが、1863年5月に悲劇がサミュエル家を襲います。

ゲリラ組織「クァントリル・ゲリラ」の情報を収集するため、北軍の兵士がルーベン・サミュエルの農場にやって来ます。
この時、兄のフランクはゲリラ組織と関わりを持っていましたが、ルーベンは知らぬ存ぜぬを貫き通しました。

怒った兵士たちは、ルーベンを絞首刑に模した拷問にかけます。
駆けつけた弟のジェシーが目にしたものは、木に吊るされ息も絶え絶えの父親の姿。
幸い一命は取り留めましたが、酸素欠乏により脳が深刻な損傷を受け、ルーベンは二度と医療活動ができない体になってしまいました。

この出来事がきっかけとなり、ジェイムズ兄弟はゲリラ組織の正式メンバーとなり北軍の象徴である列車や駅馬車、そして銀行への襲撃を始めるのでした。

7代目のビル・サミュエルズ・ジュニアが、ゲリラの一員であるアレクサンダー・フランクリン・ジェイムズとの関係性をさも誇らしげに語る背景には、権力に対する強烈な反発があるのではないでしょうか。
そしてそれは、かつてイングランド本国の軍隊と戦い、アメリカに渡ってもキングス・マウンテンでイギリス軍を撃破した、自由を求めるスコッチ・アイリッシュのDNAと関係があるのかもしれません。

そんな話を聞くと、『メーカーズ・マーク』の穏やかな飲み口の中に、アウトローへの密かな憧れが辛口の隠し味として息づいているような気がしてなりません。

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