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5☆s 講師ブログ

優しい眼差しの戦士(1)

1959年8月、熱帯夜のニューヨーク。
「バードランド」に出演中だったその黒人ミュージシャンは、ガール・フレンドを見送るため店の外に出てタクシーを拾います。
そして、車が走り去るのを見届けると、舗道に立ち止まりひとつ深呼吸をしました。

その時、パトロールの白人警官がやってきてこう言います。
「そこをどけ」
しかし男は、外の空気を吸いに出ただけで、またすぐに中に戻るのだと口答えします。

警官は「お前、賢くないのか?」と言うと、「お前がそこをどかないなら、ぶちこまなきゃならんな」と畳み掛けます。
「やるならやれよ。ぶちこめよ」と男が返した時でした。

後からやってきたもう一人の警官が、いきなり男の頭を棍棒で滅多打ちにし始めたではありませんか。
叩かれた男の言葉を借りれば、「まるでタムタムのように人の頭を殴りやがった」
いくら人種差別が激しかった時代とはいえ、舗道に立っていたというだけで頭を滅多打ちにするなんて、ちょっと酷すぎますよね。
でも、それが当時のニューヨークだったのです。

後にこの男は、タクシーに乗せた女性が白人だったことが、事件の誘い水になったのではないかと述懐します。
確かに、黒人が白人女性をエスコートするなんて、当時の白人にとっては我慢のならないことではありました。

しかし、この時警官たちは大きなミスを犯していました。
それは、この男がマイルス・デイヴィスであることを知らなかったことです。
やがて集まった怒れる群衆が舗道から溢れ出し、車の通行さえもできなくなります。
流血したマイルスが連行された54分署の前も黒山の人だかり。

マイルスは5針も縫うケガを負っただけでなく、ミュージシャンにとっては仕事の許可証であるキャバレー・カードを没収されてしまいます。
でも今回ばかりは、相手が超有名ジャズマンだったため勝手が違いました。
翌日、ニューヨークの各紙は一斉に憤りの記事を掲載します。

アメリカだけでありません。
世界中のマスメディアが挙って、この偉大なミュージシャンの援護射撃に回りました。
イギリスの『メロディ・メイカー』誌は、ご丁寧にも警察署で妻のフランシス・テーラーと並んで立っている、血塗れのマイルスの写真を掲載して世論を煽ります。

しかし、この程度のことでアメリカの人種差別が揺らぐはずがありません。
暴行及び公務執行妨害で罰せられたのは、なんとマイルスの方でした。
2人の警官が、先に暴行に及んだのはマイルスだと上申したからです。

後から来た警官の証言。
「デイヴィスが警棒をつかんで巡査を殴ろうとした。それで本官はこの警棒で彼の頭を叩いた」

対するマイルスの言い分は、「口唇を庇って体を反らしたことが、棍棒をつかもうとしたように見えたのではないか」というもの。
さすがはトランペッター。
いかにもマイルスらしい冷静な分析です。

しかし、メディアの援護が効いたのか、数日後にはキャバレー・カードが必要ならいつ取りに来ても構わないという連絡が届きます。
10月には公務執行妨害の容疑が取り消されただけでなく、その後の裁判では暴行罪も否認されます。

それでもマネージャーのハロルド・ラベットの怒りは収まらず、ニューヨーク市を相手取って100万ドルの訴訟を起こすと息巻くのでした。
この動きを制したのは、意外にもマイルス本人。
ブッキング・エージェントのジャック・ウィットモアはこう解釈します。
「市にあまり楯突くと、たとえ訴訟に勝ったとしても、逆に警察の標的になってしまう」

黒人にとって、白人警官に目をつけられることは最大の恐怖です。
一度目をつけられたら最後、しつこくつきまとわれた挙げ句、些細な罪をでっち上げられて逮捕されてしまいます。
マイルスは、ミュージシャン活動の妨げになるようなことは全て排除したかったのでしょう。

白人警官との無用な軋轢を回避したおかげか、61年5月19日、マイルスはギル・エヴァンスのオーケストラとともに、ミュージシャン憧れの舞台であるカーネギー・ホールのステージに立つことになります。
慈善コンサートを主催したのは「アフリカン・リサーチ・ファウンディション」という団体で、収益金は移動療養施設の資金としてタンザニアに送られることになっていました。
満員札止め大盛況の晴れ舞台で、マイルスは素晴らしいプレイを披露するのですが、そこにはあるミュージシャンの行動が大きく関わっていました。

マックス・ローチです。
ただし、この日ドラムを叩いたのはジミー・コブ。
ローチは演奏で貢献したわけではありません。

『サムディ・マイ・プリンス・ウィルカム』の演奏が始まった時でした。
突然、プラカードを掲げた白いジャケット姿のローチが現れます。
そして、大胆にも舞台の張り出しに上るとそこに座り込んでしまいます。
プラカードに書かれていたスローガンは「アフリカ人民のためのアフリカ!今こそ自由を!」

すぐに警備員がローチを引きずり降ろしますが、激怒したマイルスは演奏を中断して袖に引っ込んでしまいます。
歴史的なコンサートはこのまま中止かと思われたその時、突然歓声が沸き上がりました。
マイルスが再びステージに現れたのです。

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