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5☆s 講師ブログ

話せばわかるは真っ赤なウソ(2)

道子の脳裏に蘇った遠い記憶。

それは未亡人となった「お祖母ちゃま」のために建てられた、麻布の隠居所に荷物を運んでいた時のことでした。
道子の父、すなわち犬養毅の息子の健が、荷物の中に「張学良の手紙」の書簡箋があることに気づきます。
犬養健は、戦後吉田内閣で法務大臣に就任しますが、収賄容疑による自由党幹事長佐藤栄作の逮捕を阻止するべく、指揮権を発動したことが原因で失脚してしまった不運の政治家。

父が手にした書簡箋に、ある文字が書かれていたことを道子は思い出したのです。
それは実に鮮明な記憶でした。
「純白のリネン布にも似た極上の西洋紙が、中央にくっきりとみごとな楷書体を盛り上がらせている濃緑の装飾用印刷インキの影」
その「張」という一字は、とても美しいものだったそうです。

その書簡にじっと目を通す健。
「パパ、何て書いてあるの?」と問う道子。
健はしばらく沈黙した後、「お祖父ちゃまに甘えたのさ」と答えます。

張学良の書簡の内容は、後に健の遺稿メモによって明らかになります。
密書は「閣下の中国理解の深さに信を置き、ここに私信を送って、敢えてお願いしたきことあり」で始まり、「満州で日本軍に抑えられてしまった財産一切―亡父張作霖遺品を含む―が何とか手元に返るよう御尽力願えまいか。財産私財と申すが、書物である、古美術である、書である、拓本である・・・」と綴られていました。

犬養毅が、孫文を支援していたことを知らない者はいません。
さらに、満州の宗主権を中華民国に返した後、日中間で対等の立場で協力して経済開発を進めていこうと画策していたことも周知の事実。
張学良が、犬養に助けを求めたのは無理からぬことです。
それを踏まえた上で、道子はこんな推理を巡らせたのでした。

満州事変後、関東軍は郵便物を隈無く検閲していたはずだ。
だから、張学良が首相に宛てた手紙など見逃すはずがない。
現に、犬養は事変の処理のため秘かに同志の萱野長知(かやのながとも)を現地に送りましたが、これが内閣書記官長の森恪の知るところとなります。
森は、関東軍の石原莞爾に極秘電報を打って萱野の動きを封じただけでなく、萱野が現地から犬養宛てに打つ電報は全て一旦森の手元に届くよう内々に手配をして、一部のものは握り潰していたといいます。

とすれば、この手紙は郵便ではなく、密書として信頼のおける人伝いに秘かに手渡されたものではないか。
中国の人は義理と礼を欠くことを嫌うので、張学良は私財捜索や返却輸送に必要な金子(きんす)小切手も、併せてその人に託したであろう。
律義なお祖父ちゃまなら、当然使いの者に受取を渡したはず。
その受取こそが、「話せばわかる」という噂の創作に利用されたのではないか。

道子はそう推理したのです。
犬養毅は高潔で知られる人物。
彼をよく知る者たちは、口を揃えてこの薄汚れた賄賂疑惑を否定します。

側近の古島一雄の証言が残っています。
辛亥革命の後中国を訪れた犬養は、暗殺されることを想定し密かに遺書を認めていました。
古島によればその内容は、「墓碑には『備中庭瀬之人犬養毅』とのみ記して、位階勲等などは書かぬこと」というものでした。

この犬養の賄賂疑惑に関する保阪の見解は、青年将校たちの行動を正当化するための、当時関東軍が頻繁に行っていた情報操作のひとつだったのではないかというものです。
今となっては真偽のほどは確かめようがありませんが、ただ犬養毅という政治家もまた、政治家の宿命として多くのマイナス面を持っていたことも紛れもない事実です。

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