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「切れ者」津田永忠(3)

番頭(ばんがしら)に抜擢され、藩士たちの羨望の的となった永忠でしたが、その翌月に早くも事態は急変してしまいます。
あれほど絶賛していた綱政が、まるで手の平を返したように辛く当たり始めたのです。
一体どうしたというのでしょう。

実は、永忠に嫉妬の念を抱いた重臣が、あることないこと綱政に告げ口していました。
無能な上司が気をつけなければならないのは、このような「ご注進」に及ぶ部下の存在です。
多くの場合、彼らの主たる仕事は上司の「ご機嫌取り」と「ご注進」です。

いや、有能な上司も例外ではありません。
豊臣秀吉の家来に、曽呂利新左衛門というお伽衆がいました。
ある時、秀吉から褒美は何が良いかと問われ、金品は要りませんと答えます。
その代わり、日に一度でいいから殿の耳の匂いを嗅ぐ機会が欲しいと、実に奇妙な申し出をします。

ところが、曽呂利が毎日殿の耳の匂いを嗅いでいる様子を見た大名たちは、秀吉に何か告げ口しているのではと勘ぐり、自分の悪口を言われないようにと曽呂利に多額の金銀を贈るようになります。

批判には及びません。
他人からどう見られるかを考えてセルフ・プロデュースすることは姑息な手段ではありますが、サラリーマンが出世するための処世術のひとつでもあります。
あなたの会社にも、曽呂利新左衛門みたいな人間がいるのではありませんか。

いいとか、悪いとかの問題ではありません。
自分の生き方としてどちらを選択するかというだけの話です。

さて、当時の永忠の評価が真っ二つに分かれていると言いましたが、その理由は恐らく永忠にはこの「他人からどう見られるか」という視点が欠如していたのではないかと思うのです。
少しでも、他人からよく思われたいとか、気に入られたいという気持ちがあったなら、もう少しお利口な生き方はいくらでもできたはず。

なぜそんな気持ちにならなかったかというと、そもそも富や名声というものに全く関心がなかったからです。

閑谷に隠居した時の住まいはあまりに狭くてみすぼらしい家でしたが、永忠は不満ひとつ漏らしませんでした。
それを見た郡奉行が哀れに思い、お上に家屋の増築を願い出たほどです。
また、この隠居に際して永忠は、光政の期待に応えるためには農民の心を知ることが必要と、知行三百石の侍身分を捨てて本当の農民になろうとまで考えていました。
もしも、農村荒廃と藩の財政危機がなければそうしていたでしょう。

永忠にとっては、農民が飢餓から救われることが全てでした。
他人の評価などどうでもよかったのです。
永忠ほど私心のない人物は、歴史上もそう多く存在しません。

つくづく思うのは、人に対する正しい評価というものは、その人が「生きている間」にはできないのではないかということです。

永忠がこの時築造した放水路の百間川は、2018年の西日本豪雨の際に市街地を流れる旭川の氾濫を防ぎ、岡山市中心部の3,300戸の住宅を浸水の被害から守りました。
「生きている間」どころではありません。

死後300年以上も経ってから、改めてその功績を思い知らされることがあるのですね。

裏表がなく、バカがつくほど真っ正直な永忠の性格は、側児小姓時代の逸話からも窺えます。
殿様の不寝番(ねずのばん)をしていた時のこと。
夜中にふと目を覚ました光政が、次の間に控える永忠に「いま何刻(なんどき)か」と尋ねます。

ところが、この時永忠は不覚にも居眠りをしていました。
不寝番の居眠りは切腹に値するほどの不祥事。
しかし、少しも悪びれる様子もなく「居眠りをしていたため何刻かわかりませぬ」と答えるのでした。
保身を一切考えず、豪胆としか言いようのないほど腹の据わっている永忠に、この時の光政は逆に感心させられたといいます。

私たちは、このことから重要な教訓を得ることができます。
それは、上司が「切れ者」を使いこなすには、使いこなすだけの度量が必要だということです。

「切れ者」とは、文字通り研ぎ澄まされた刃物。
扱いにくいのは当たり前です。

もしかしたら、世の中には「切れ者」は数多くいるけれど、使い手の方が圧倒的に不足しているのかもしれません。

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