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5☆s 講師ブログ

ジャズと麻薬

その男の死体は、ラスヴェガス郊外の砂漠で発見されました。
警察の検視によれば死因は撲殺。
首の骨がポッキリ折れていたそうです。
こうして、デクスター・ゴードンと人気を二分したテナー・サックス奏者ワーデル・グレイは、その34年の短い生涯を閉じたのでした。

50年代のロサンゼルスと言えば、「白いウェスト・コースト・ジャズ」の全盛期。

音楽の高等教育をちゃんと受けた譜面の読める白人たち、
すなわちジェリー・マリガン、アート・ペッパー、バド・シャンク、デイヴ・ブルーベック等による「爽やか」なジャズは多くの人々を魅了しました。

しかし、意外なことに当時のロサンゼルスでは、ワーデル・グレイを始めチャールス・ミンガス、デクスター・ゴードン、ハンプトン・ホース、エリック・ドルフィー、チコ・ハミルトンといったゴリゴリの黒人ミュージシャンも大活躍していたのです。

「爽やか系」というのは、レコード会社が作ったマーケティング戦略上の架空のイメージで、その実態は白人も黒人も皆麻薬漬けという惨憺たるものでした。
ジェームス・ディーンを彷彿とさせる風貌で、真っ白なTシャツ姿でジャケットを飾っていた人気トランペット奏者チェット・ベイカーも、本当は手がつけられないほどのジャンキーでした。

死体で発見されたワーデル・グレイも例外ではありません。

2本のテナー・サックスがまるで追いかけっこをしているような様子から、『ザ・チェイス』と名付けられたアルバムでは、豪放磊落でゴツゴツした演奏のデクスター・ゴードンとは対照的に、グレイは流麗で繊細なテナーを披露しています。
もしかしたら、シェークスピアやサルトル、カミュを愛読していたという読書傾向が影響していたのかもしれません。

1955年5月、バンド・リーダーだったベニー・カーターの誘いで、新しく開業するムーランルージュ・ホテルのステージに出演するためラスヴェガスに向かったグレイは、なぜかホテルの開業日には姿を見せませんでした。

そして翌日になって、無惨な遺体となって砂漠で発見されたのです。

遺体の頭部には損傷が認められ、さらには車で轢かれた跡まであったため、別の場所で殺されて運ばれたのではないかという声が上がります。

中にはラスヴェガスだけに、ギャンブルが原因で地元の顔役と揉めて殺されたのだと、したり顔で解説する者まで現れました。

ところが数ヶ月後、容疑者として逮捕されたタップ・ダンサー、テディ・ヘイルの証言は驚くべきものでした。

二人がヘロイン・パーティーを開いている最中、グレイは過剰摂取が原因で死んでしまったというのです。
事の発覚を恐れたヘイルが車で死体を運び、砂漠に投げ捨てた際に首の骨が折れたというのが真相でした。

当時のジャズ・ミュージシャンは、どうしようもないほど麻薬まみれでした。

それを示す最もわかりやすい例が、45年の年末から47年春までロサンゼルスに滞在した、ジャズの神様チャーリー・パーカーです。

彼がダイアル・レコードと交わした契約書には、今後発生する印税の半分は、麻薬の売人であるエメリー・バードに支払われることが明記されていました。
ちなみにこのレコード会社で、パーカーを凌ぐ最大のヒットとなったアルバムが、先ほど紹介した『ザ・チェイス』です。
当時、グレイがいかに人気があったかが窺えますよね。

またパーカーは、エメリー・バードの通称である「ムース・ザ・ムーチェ」をそのまま題名にした曲まで作っています。
さらには『パーカーズ・ムード』という曲の冒頭で提示される三音、すなわちB♭-G-Dはセントラル・アヴェニューで麻薬の売人を呼ぶ時の合図でした。

街角でこの音階で口笛を吹けば、どこからともなく売人が現れるのがロサンゼルスでした。
もしかしたら、パーカーにとってこのテーマは、天国にいるロスの友人たちへのレクイエムだったのかもしれません。

麻薬は、ジャズ・ミュージシャンの人生を一変させます。

『ザ・チェイス』で、ワーデル・グレイと白熱のテナー・バトルを繰り広げたデクスター・ゴードンも麻薬で捕まり、長い刑務所生活を余儀なくされました。
でも、悲惨な最期という点では、トランペット奏者の方が多いような気がします。

ジャズ・ファンならずとも、一度はそのメロディーを耳にしたことがある『サイド・ワインダー』。

リー・モーガンは、この大ヒット曲で手にした財産を全て麻薬に注ぎ込んだ挙げ句、愛人のピストルで胸を打ち抜かれて息絶えます。
享年34。

天才クリフォード・ブラウンが、好きなトランペッターとしてただ一人名前をあげたセオドア“ファッツ”ナヴァロの、“ファッツ”とは“太った”という意味の愛称ですが、麻薬のやり過ぎによりわずか26歳でこの世を去った時には、その体は見る影もなくやせ細っていたそうです。

極めつけは、1988年5月のアムステルダム。

夜明け近くにバーを出てきた千鳥足の酔っ払いが、歩道に横たわる頭の砕けた死体を発見します。
ジャンキー御用達の、安ホテルの3階の窓から転落死した男こそ、かつての爽やかな「白いウェスト・コースト・ジャズ」の旗手チェット・ベイカーでした。

自殺か事故死か、はたまた他殺?

しかし、人々が何より驚いたのはその風変わりな死に様ではなく、手のつけられないジャンキーが58歳まで長生きしていたという事実の方でした。

もしジャズが麻薬と無縁だったら、モダン・ジャズは一体どんな発展を遂げていたのでしょう。

返す返すも、残念でなりません。
麻薬による高揚感が名演奏を生み出したなどと戯言を口にする人がいますが、それは絶対に違います。

誰かが言ってたっけ。

麻薬のお陰で素晴らしい演奏ができる確率なんて、STAP細胞を発見する確率より低いって。

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