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5☆s 講師ブログ

悪人エジソン(2)

テスラとエジソンの間で繰り広げられた電流戦争は、1893年のシカゴ万博で遂に決着を見ます。

シカゴ万博と言えば、先月の『遅刻がきっかけで』で紹介した、屋井先蔵の乾電池が展示された博覧会です。
電気というものが初めて世の注目を浴びたこの万博の電気設備契約を、なんとテスラのスポンサーであるウェスティングハウス社が獲得します。

ついに交流が勝利したのです。

私たちが今使っている電灯も冷蔵庫もエアコンも携帯電話も、すべてニコラ・テスラがいなかったら存在しなかったものなのです。

このシカゴ万博で直流を提案し一敗地に塗れたのは、エジソンが興したエジソン・ゼネラル電気会社を吸収合併したゼネラル・エレクトリック社、すなわち現在のGEです。

ところが同じ年の、ナイアガラ瀑布に水力発電所を作るための発電機競争入札では、GEは直流ではなく交流方式を提案しています。

なんという変わり身の早さ!
これがGEという会社の強さの秘密なのかもしれません。

エジソンとGEを「光」に例えるならば、テスラとウェスティングハウス社は間違いなく「影」です。

日本ではオウム真理教が、「阪神淡路大震災はテスラの地震兵器により引き起こされた」と機関誌に発表したことで、
テスラには“マッド・サイエンティスト”という誤ったレッテルが貼られてしまいます。

事実この狂気の宗教団体は、ベオグラードにあるテスラ博物館に幹部を派遣し、テスラの論文をパソコンに取り込んだりしていました。

地震兵器はサリンと並んで、ハルマゲドンを引き起こすことのできる有力候補だったのです。

また、テスラのパートナーであるウェスティングハウス社はやがてM&Aの荒波に飲み込まれてしまいますが、
わずかにその名を残していた末裔の会社が、今回の東芝事件の主役を演じることになろうとは一体誰が予想したでしょう。

エジソンとテスラの違いは一体何だったのでしょうか。

エジソンが一つのアイデアをコツコツと蜂のような勤勉さで検証したのに対し、テスラは次々と沸き出るアイデアを事業にする作業が追いつきませんでした。

ラジオ放送や無線による遠隔操作、さらには音声認識機能や殺人光線といったテスラのアイデアを後世の人々が事業化できたのは、彼の死後かなりの時間が経過してからのことです。
この天才は、余りに早く生まれてしまったとも言えましょう。

しかし、と私は思うのです。

もっと根本的な違いがあるのではないのかと。

電流戦争の際に、ウェスティングハウス社から資金難を理由に特許料の放棄を求められたとき、
電気の普及のためならとその場で契約書を破り捨てたその崇高な「志」こそ、
エジソンが絶対に持ち合わせていないものでした。
それはオスマントルコからヨーロッパを守り、ナチスドイツにも怯むことなく戦ったセルビア人の血と関係していたのかもしれません。

しかし、歴史に名を刻むことができる条件は、結局のところ志の高さではなく、富か名声のどちらかを掴むことです。

でも、そんなテスラにも名声を手にするチャンスはあったのです。

1915年11月『ニューヨーク・タイムズ』紙に、テスラとエジソンがノ ーベル賞を同時受賞するというスクープ記事が掲載されます。
その翌日、記者の取材に対して「エジソンは1ダース以上のノーベル賞に値する」と賞賛しながらも、「私の研究は次の数千年間のすべてのノーベル賞に値する」と自画自賛したテスラ。

しかし、残念ながらこの報道は全くの誤報で、テスラはノミネートさえされていませんでした。
まぁ、推薦くらいはされていたでしょうが、かつてはヒトラーやスターリンがノーベル平和賞に推薦されたこともあるくらいですから、推薦されることに価値があるとは思えません。

この騒動の埋め合わせをするかのように、アメリカ電気工学界最高の栄誉がテスラに贈られますが、その賞の名は皮肉にも「エジソン賞」。
当初は、「私ではなく、すべての受賞者から不当な分け前を奪ったエジソンをこそ表彰すべき」と受賞を断っていたテスラでしたが、度重なる協会側の説得に折れ、ついに授賞式に姿を現します。

この時テスラ61歳。

片や、かつての天敵であるテスラへの授賞を認めたエジソンも、すでに70歳に達していました。
互いに齢を重ねたことにより、少しだけ遺恨が薄れていたのかもしれません。

もし、この狡猾な発明家が同じ時代に生きていなかったら、テスラは歴史に名を刻むことができたのでしょうか?

それとも、二人が同時代に生きていたからこそ、切磋琢磨することができたのでしょうか?

晩年はあらゆる栄誉を独り占めし、親友のヘンリー・フォードらと共に人生の休日を楽しんだエジソン。

片や代金の滞納でホテルを追い出され、夜のマンハッタンをさまよい歩いたテスラ。

生涯独身を貫き、公園の鳩だけを友としたこの知られざる天才科学者は、やがて誰にも看取られることなくホテルの一室で寂しく息を引き取ります。

今テスラの名前は、彼を敬愛するイーロン・マスクにより創業された、アメリカの電気自動車メーカーの社名にわずかに残るだけです。

願わくば、この「テスラ・モーターズ」に栄光あれ。

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