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5☆s 講師ブログ

3カ月のパートが

今回はウィスキー造りの世界で、職人として認められた女性の話です。
2014年9月のブログで紹介した『ラフロイグ』は、ウィスキー好きなら誰でも知っているアイラの名酒。

しかし、もとから有名だったわけではありません。

1815年の創業以来細々とした経営が続く、スコットランドではどこにでもあるような小さな蒸留所のひとつに過ぎませんでした。

転機となったのは創業から100年近く経ち、創業者一族に連なるイアン・ハンターが社長に就任した1908年。

それまではブレンド業者向けの樽詰めしか販売していませんでしたが、一般向けボトルの発売に踏み切っただけでなく、なんとアメリカ大陸進出にも乗り出します。

その積極策がようやく軌道に乗り始めた矢先、ハンターの右腕とも言うべき秘書のカーマイケル夫人が病に倒れます。

やむなく、3カ月という期間限定で一人の女性事務職を採用することにしました。

このパートタイマーこそ、後に「ラフロイグ中興の祖」と言われたエリザベス(ベッシー)・ウィリアムソンその人でした。
でもベッシーは、もともとウィスキー造りに興味があった訳ではありません。

グラスゴー大学で歴史や倫理学を学び修士号まで取得した才女ですが、当時は不況の真っ只中で就職先が全くありません。
仕方なく、パートタイムの仕事を転々とする日々・・・。

どこの国でも、似たような時代はあるものですね。

でも、熱意ある者に幸運の女神が微笑むのもまたいつの世も同じ。

パートの仕事であっても、全力で取り組むその姿勢を誰よりも高く評価したのは、“No half measures”(中途半端は許さない)が口癖だったハンターでした。
ベッシーの熱意と才能を見込んだハンターは、このパートタイマーにウィスキー造りのあらゆるノウハウを伝授します。

ベテランの職人たちは、一体どんな思いでそれを眺めていたことでしょう。

しかも『ラフロイグ』は、「消毒液のような」と評され、禁酒法時代には実際に「医薬品」としてアメリカに輸出されたほどの“超男性的”な味わいのウィスキー。
早い話が、『正露丸』をアルコールで溶いたような味と言えばわかりやすいでしょうか。

ところが、ベッシーの並みはずれた熱意と様々な創意工夫の前に、職人たちも帽子を脱がざるを得ません。

やがて第二次世界大戦が終わって操業を再開した時、ベッシーが所長に任命されることに異を唱える者は一人もいませんでした。

さらには、生涯独身で子供もいなかったハンターが亡くなると、その遺言状には「経営権はベッシーに譲渡する」と明記されていたのでした。

期間限定のパートタイマーが、経営者にまで登り詰めたのです。

ベッシーにとって、ウィスキー造りが本当にやりたい仕事だったかどうかはわかりません。

しかし、真剣に取り組んでいるうちに、それが「天職」になることは往々にしてあるものです。

わずか3カ月間の勤務のはずだったベッシーは、結局半世紀もの長い歳月をアイラ島で過ごすことになります。

71才で天寿を全うした彼女の墓は、蒸留所を見下ろす小高い丘の上に作られています。

今、私たちが口にする『ラフロイグ』も、天国のベッシーに見守られて造られた酒なのです。

あなたもその強烈な味わいの中に、男社会に風穴を開けた一人の女性の、熱い息づかいを感じてみませんか。

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