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5☆s 講師ブログ

父を超える

以前、ブルーノートの70周年を記念して結成された、ザ・ブルーノート・セブンというグループのアルバムを聴いていた時、
テナーサックス奏者がラヴィ・コルトレーンという人だということに気がつきました。

もしかしたらと思ってライナーノーツを読んだら、案の定あのジャズの巨人ジョン・コルトレーンの息子。

ところが、驚いたことに彼がサックスを手にしたのは、なんと二十歳を過ぎてからなのだそうです。
何でも父親の『ソウル・トレーン』を聴いて感化されたのがきっかけとのこと。

ということは、それまであの名アルバムを一度も聴いていなかったことになります。

いくら早世したとはいえ、あれほど偉大な父親でさえ、
息子にとっては大して存在感がなかったのかと思うと悲しくなりました。

そもそも父親というのは、母親と比べると随分ぞんざいに扱われているような気がしてなりません。

イベントだって、母の日にはプレゼントとかいろいろあるのに、父の日には何もないではありませんか!

えっ?

それはお前のところだけだって?

でも、データによれば、母の日の経済効果は父の日の1.3倍でしたよ。

ほらね、私と同じで淋しい思いをしているお父さんがきっといるはず。

まぁ、父親の不遇話はひとまず置いといて、ウィスキーの世界で父親を超えようとした男たちの話をしましょう。

まずはバーボンから。

赤い封蝋レッドトップでおなじみの『メーカーズマーク』。

創業者ビル・サミュエルズを超えようと、その息子がチャレンジしたウィスキーがブラックトップ。

その名の通り黒い封蝋です。
2004年に日本限定で発売されましたが残念ながら大ヒットにはつながらず、そのうち終売となってしまいました。

ところが同じ赤と黒でも、スコッチではちょっと事情が異なります。

かつては、高級ウィスキーの代名詞だった『ジョニー・ウォーカー ブラックラベル12年』、通称『ジョニ黒』。

私が生まれた頃の値段を今の価値に換算すると、40万円くらいになるそうです。

酒飲みなら、誰もが一生に一度は飲んでみたいと憧れたウィスキーが、いまは2000円ちょっとで手に入ります。

60年間で価格が1/200にまで下がった商品なんて、他に聞いたことがありますか?

まさに、「貿易自由化、万歳!」ですよね。

ジョニーウォーカーは、『ジョニ黒』で大成功を収めたわけですが、ここにも父親を超えようとした男の物語がありました。

このウィスキーが世界中で飲まれるようになった陰には、巧みなマーケティング戦略の存在があります。

まず、誰もが驚いたのは四角くスリムなボトルです。

そして、その正面にはラベルが斜めに貼られているではありませんか。

こんな粋な演出を、なぜ今まで誰も思いつかなかったのでしょう。

そして極めつけは、お馴染みの闊歩する男ストライディングマンのイラストです。
当代随一の漫画家トム・ブラウンが描いたのは、シルクハットを被り赤のフロックコートにステッキ、
そして片眼鏡といういかにもイギリス紳士然とした人物。

モデルは創業者のジョン・ウォーカーではないかという人もいますが、
誇り高きスコットランド人があんな格好をするはずがありません。

イングランドとスコットランドは、今でこそイギリスという一つの国ですが、
過去には血で血を洗う殺戮の歴史を繰り返してきました。

1745年、チャールズ・スチュワートが、スコットランドの独立をかけた最後の聖戦に挑みます。

ジャコバイトの反乱です。

快進撃を続けた一行は、マンチェスターを越えてロンドンまであと少しというところまで迫ります。

しかし、この快進撃が却って仇となりました。

兵站線があまりにも伸びすぎて、補給が追いつかなくなってしまったのです。

時のイングランド国王ジョージⅡ世の反撃を受けると、戦況は一転。

今度は撤退を余儀なくされます。

後は、坂道を転げるような敗走が延々と続きます。
ところが、勝利を手にしたはずのイングランド軍は、追撃の手を緩めることなく執拗にジャコバイトを追いかけました。

狙いはただひとつ。

“皆殺し”です。

文化を絶たれ農地を失い、散り散りになってひたすらハイランド中を逃げ回るジャコバイトの残党が、
生き延びるための頼みの綱としたのがウィスキーの密造でした。

ハイランドの農民たちもまた、死刑を覚悟で彼らを匿っては大麦を提供したのです。

農民にとって彼らは、スコットランドの魂を守るヒーローでした。

当時のイングランド紳士たちは、野蛮な属国であるスコットランドの酒には全く興味を示しませんでした。

上流階級の嗜みは、もっぱらワインとブランデー。

ただ、少しだけ彼らを弁護するならば、
その頃のウィスキーは、お世辞にも「おいしい」と言える代物ではなかったことも事実です。

ウィスキーがおいしい酒になったきっかけもまた、イングランドがもたらします。

スコットランドから税金を毟り取ろうとして、ウィスキーに重い税金をかけたのです。

どうせ自分たちは、こんな不味い酒は飲まないからと、とんでもない重税を課しました。

密造者たちは、摘発を逃れるために、さらに人里離れた奥地へと向かわざるを得ませんでした。

寒風吹きすさぶ北の湿原は、樹木など成長できるはずもなく、辛うじてコケやヘザー、小さなシダ類が生えている程度です。
しかし、それらでさえ、厳しい冬を生き延びることはできません。

しかも、あまりに過酷な環境ゆえ、死んだ植物を分解する微生物さえも生息できませんでした。

その結果、夥しい数の植物の死骸が100年で数センチという、
気の遠くなるような長い時間をかけて堆積していくことになります。
この堆積層が空気に触れることなく炭素化したのが泥炭、いわゆるピートと呼ばれるものです。

彼らは、水とピート以外は何もないという状況の中で、一からウィスキー作りを始めなければならなかったのです。

大麦を乾燥させて発芽を止める工程にしても、燃やすものは乾燥させたピートしかありませんでした。

ところが、これが思いもよらない結果をもたらします。

あの独特のピート香という、スモーキー・フレーバーです。

奇跡はなおも続きます。

役人に見つからないようにと、作った酒を樽に隠すという姑息な手段を編み出しますが、
何年かして開けてみたら何ともおいしい酒に変わっているではありませんか。
これが樽熟成の始まりです。

もし、イングランド軍がジャコバイトの皆殺しに固執しなかったら、
また身勝手な増税策を実施しなかったら、おいしいスコッチはこの世に生まれていなかったかもしれません。

話をジョニーウォーカーに戻しましょう。

創業者のジョン・ウォーカーが亡くなると、その長男アレキサンダーが跡を継ぎます。

実は、四角いボトルも斜めのラベルも、そしてストライディングマンのイラストさえも、
すべて創業者亡き後に、アレキサンダーたちが考え出したものなのです。

息子は、ブレンダーとしてではなく、類い稀な才能を持つマーケターとして父親を超えたのです。

一方、ブレンダーの才能の方は隔世遺伝しました。

アレキサンダーの息子、アレキサンダーⅡ世が、改めてブレンダーとして、創業者である祖父に挑戦したのです。
なんと父親どころか、祖父を超えようとした男もいたわけです。

その渾身の作品が、『ジョニー・ウォーカー レッドラベル』、すなわち『ジョニ赤』です。

この時、祖父のブレンドした『ウォーカーズ・オールド・ハイランド』は、『ブラックラベル』と改名されました。

そうなのです。

『ジョニ黒』や『ジョニ赤』という名前は、孫の代になってつけられたものなのです。

スモーキー・フレーバーを効かせた『ジョニ赤』は、確かに至高の一品ですが、
私には『ジョニ黒』の方に一日の長があるように思えてなりません。

なんといっても、『タリスカー』や『ラガヴーリン』という強烈な個性を持つキーモルトを、
『カードゥ』という華やかな酒で上手に丸め込んでしまったのですから。

他にも金ラベルや青ラベルをラインアップに加えたジョン・ウォーカー&サンズ社が、
マーケティングのターゲットに選んだのは“世界”でした。

七つの海を制覇した大英帝国。

それを彷彿とさせる英国紳士ストライディングマンのイラストが、
ウィスキーというジャンルでの世界制覇にも貢献したことは言うまでもありません。

かつて、祖国を滅ぼした憎っくきイングランドの象徴を逆手にとり、今度はビジネスの世界で一矢を報いたわけです。

いつの世も、本当の勝者が誰なのかは、時間が経ってみないとわからないものですね。

今回は、父親を超えることにチャレンジした男たちの物語でした。

でも、息子が父親超えに挑むには、父親の壁がそれなりに高いものでなければなりません。
そう考えると、自分という壁が申し訳ないくらいに低いのが、ちょっと恥ずかしいです。

まぁ、父親を超えるとか超えないとかはどうでもいいけど、せめて父の日のプレゼントくらいはくれないかな。

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