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5☆s 講師ブログ

たとえば霧や

たとえば霧や 
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
━━これがすべての始まりである。

鮎川信夫の『死んだ男』は、戦死した親友の森川義信を悼んだ詩です。

鮎川自身は傷病兵としてなんとか生きて帰還しますが、もう一人の詩人は

「生きているにしても、倒れているにしても僕の行手は暗いのだ」
という便りを残してビルマで戦病死しました。

鮎川の代表作とも言うべき詩ですが、詩論『すこぶる愉快な絶望』を読むと、

詩集として正式に上梓されるまで、何回も何回も書き直されたことが記されています。

もしかしたら、鮎川の詩作の原点は、
死んだ者たちへのスウィートな追憶のリフレインではないかと私は思うのです。
そしてその追憶の対象には、戦争で死んだ「言葉」たちも含まれているような気がしてなりません。

「アウシュビッツ以後に詩を書くことは野蛮である」

そう言ったのはドイツのユダヤ系思想家アドルノです。

言葉が力を持ち得た時代は、軍靴の響きとともに終わりを告げます。

もし、言葉が人の心を動かしうるとするならば、それは世の中が平和だからです。
軍国主義の前では、言葉は全く無力でした。

戦後いち早く詩作を開始した『荒地』の詩人たちを突き動かしていたものは、
戦時中一切の主張を抹殺し、黙々と従軍せざるを得なかった
「詩人」という存在への、深い後悔の念ではなかったかと思うのです。

短かった黄金時代━━  

活字の置き換えや神様ごっこ━━ 
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて━━

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
(略)
埋葬の日は、言葉もなく 

立ち会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空に向かって眼をあげ
君はただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

1967年の『小自伝』と称する短い文章で、鮎川は自身の半生を自虐的に振り返っています。

ようするに私は、ふとしたことから現代詩という不毛の領土に深入りすることになったということである。
これ以上、自己について語れといわれても、いまの私は、語るべき何ものも持合わせていない。
(略) 
いずれにしても無用の人の自伝なぞに作品以上のものが見つかるはずがない。
「なぜ作品を書いてきたか?」と問われれば、「ほかにする仕事がなかったから」というのが、いちばん正直な答えのようである。

ここには明確なウソが存在しています。
それは“仕事”についてです。

鮎川を始め『荒地』の詩人たちの多くは、海外の推理小説を翻訳する仕事で糊口を凌いでいました。

生活費を稼ぐ“仕事”という意味では、詩人ではなく翻訳家が正解です。

「詩人」は、所詮職業にはなり得ないのです。

「詩人とは、名詞ではなく形容詞である」と言った寺山修司の慧眼には驚かされるばかりです。
誰の詩だったかは忘れましたが、十代の頃に読んだ詩の一節が忘れられません。

「墓場に咲く桜は、いったい何を栄養にして美しい話を咲かせるのだろうか」

なるほど。
言われてみれば確かに不気味な話です。

死者の亡骸から染み出してくる、未知の栄養素でもあるのでしょうか。
まさにこれこそが、「詩人」の感性というものなのでしょう。

太平洋戦争の激戦が繰り広げられた南の島々も、今は深いジャングルに被われています。

島々だけではありません。
沖縄も広島も長崎も、そして空襲で焼かれた東京をはじめとする多くの地でも、夥しい数の屍を重ねました。

今その地に茂る緑は、一体何を栄養にして成長してきたのでしょう。

無残に焼き殺された屍から滲み出た、どんな情念を吸い上げて育ってきたというのでしょう。

「ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・」で始まる、森山良子が歌う『さとうきび畑』。

作曲家の寺島尚彦が沖縄を旅行したとき、さとうきび畑を案内した地元の人から、

「この畑の土の下にも多くの亡骸が埋まっている」と聞かされ、詞までも一気に書き上げたそうです。
今、私たちが立つこの地面の下にも、戦争の犠牲となった死者の骨が埋まっているかもしれません。

それにしても、鮎川はなぜこんなにも『死んだ男』に拘り、引き摺り続けたのでしょうか?

同じ『荒地』派の黒田三郎の著書によると、森川義信はビルマで発狂死したとあります。
想像を絶する戦場の凄惨さは、25歳の感性豊かな詩人の精神が支え切れるようなものではなかったのでしょう。

しかし、私は思うのです。

無念を抱きながら地下に眠る夥しい数の屍の中で、今なお傷口の痛みを感じているのは、

なにもMひとりではないはずだと。

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