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5☆s 講師ブログ

殿、利息でござる!

不覚にも、電車で本を読んでいて、感動のあまり涙をこぼしてしまうことがあります。

これは本当に困ります。

私は黒井千次の『時間』を最後に、小説は一切読まない主義を貫いていますが、
先日ノンフィクションを読んでいてそんな事態に陥りました。
こんなことは、門田隆将の『死の淵を見た男』以来のことです。

『武士の家計簿』で一躍有名になった磯田道史の『無私の日本人』の中で、
江戸時代の仙台藩下、吉岡宿という貧しい村を救うために
私財を投げ打った9人の篤志家のことが紹介されています。

まず発想が面白い。
どんなに米を作っても結局年貢に取られてしまうので、それ以外の方法でみんなが豊かになる策を考えます。

それがなんと、藩を相手に「金貸し」を始めようというのです。

まず吉岡宿内の9人の商家が力を合わせ、店が潰れるのを覚悟の上で千両という大金を用意します。

それを仙台藩に貸し付けて、その利息を村人に分配するという計画です。

店が潰れることも辞さないという壮絶な覚悟にも驚かされますが、
そもそもお上に金を貸し付けるなどということが許されるのでしょうか?

もしも、お上がこの企みを「不届き」と捉えれば打ち首は免れません。
計画は極秘裏に進められ大庄屋の了解を得たところで、まずは役所に探りを入れます。

しかし予想通り、お役所の徹底したタライ回しに会います。

ようやく突破口を見つけて訴願しますが、前例がないとの理由であえなく却下。

でも、中には彼らの意を汲んでくれる役人がいて、上役に掛け合ってくれたりします。

不思議なことに、一つの段階を乗り越える度に、決まってそういう役人が現れて強力な手助けをしてくれるのです。
いつの時代にも、志のある役人はいるものですね。

いくつもの障害を乗り越えて、最後には彼らの崇高な考えに心を動かされたという代官に出会います。

その代官の懸命な働きかけによって、仙台藩の財政の実質的なトップ、
出入司の萱場杢という人物に嘆願書を届けることが許されます。
ついに最終段階にまで登りつめたのです。

ところが、財政難というお上の弱みにつけ込んだ行為と解釈され、あえなく却下されてしまいます。

それでもあきらめませんでした。

今度はなんと代官が粘ります。

萱場に対して必死の説得を試みた結果、再嘆願が叶うのです。
この時代においては、きわめて異例のことだそうです。

結果、嘆願は認められます。
しかしそれは、彼らを絶望の真っ只中に突き落とすものでした。
仙台藩は、なんと貸付額を増やせと言ってきたのです。

なんという強欲!
今の金額でさえ、ありったけの銭をかき集めたギリギリの額だというのに…。

嘆願者たちは真っ先に吉岡宿随一の有力者、浅野家甚内のところにこのお達しを伝えに行きます。

酒造家の浅野家は、先代がこの計画を思いついて以来、
それこそ爪に火を灯すような節約を重ねて、千両のうち3割以上を負担している中心人物です。

浅野家の人々が、限界まで切り詰めた生活をして、
やっとの思いでこのお金を捻出したことは、宿内では知らない者はいません。

ところが、当主は信じられないことを言い出します。

浅野家の負担を増やす、と言うのです。

とんでもないことです。

そのことが浅野家の破産はおろか、一家離散に繋がるであろうことは誰の目にも明らか。
さすがにそれだけは受け入れられないと必死で諫めます。

するとその時です。

座敷の襖がゆっくりと開き、甚内の老母が出てきます。
この時代、男たちの相談事に女が差し出てくることは考えられないことでしたが、老母は静かな口調でこう言いました。

「もうとっくに覚悟が出来ております。
まだお金がいるというのなら、家内の諸道具を売り払うまでのこと。
どうかお金を出させてください」

男たちは言葉を失いました。

この一家は、宿場を救うために覚悟の心中をしようとしている、しかも幼い孫に至るまで。
なんという悲壮さ!

著者の磯田は後書きでこう述べています。

「古文書を読みながら涙が出てくることなどこれまでなかったが、とめどもなかった」

やがて彼らは、お上の“タカリ”に見事に応えて満額を納めます。

この行為は、藩の中枢部にも深い感銘をもたらしました。
なんと9人には、特別に賞金が与えられたのです。

しかし9人は、この賞金さえも村人全員に分配してしまいます。

宿場の中でもっとも貧しい借家人の一人ひとりにまで、銭二百文ずつが手渡しで配られたそうです。
その後、毎年支払われる利息は吉岡宿を潤し、幕末に至るまで人口が減ることはなかったといいます。

しかし案の定、浅野家は身代が傾きます。

酒造りの他に質屋も営んでいたのですが、「困っている人は助ける」という固い信念のもと、
返せる見込みが全くない人にまでどんどんお金を渡します。
近隣からもよからぬ考えの者が大勢集まり始めたため、焦げ付きはますます増えます。
もはやこれまでと思われたその時、不思議なことが起こります。
浅野家の姿勢を立派と受け取る人も少なからずいて、
「どうせ借りるなら浅野家で」と、今度は優良客が増え始めたではありませんか。
評判が評判を呼び、ついには立て直しに成功したのです。

それだけではありません。

この噂を聞きつけた仙台藩主伊達重村が、領内巡視の折りにわざわざ浅野家を訪ねてきたのです。
そして、自ら筆を取り「霜夜、寒月、春風」としたため、これを酒銘とせよと言い残して去っていきました。

でも私がもっとも感心したのは、9人のうちのひとり、穀田屋十三郎の遺言です。

「わしのしたことを人前でかたってはならぬ。わが家が善行を施したなどと、ゆめゆめ思うな。
何事も驕らず、高ぶらず、地道に暮らせ」

これだけの篤志を施しておきながら自慢するどころか、決して人に話してはならないと命じたのです。

しかし幸いなことに、この話は絶対に後世に伝えられるべきと思った僧侶が
事の成り行きをこと細かく記録していたため、磯田の手により世に知られるところとなったのです。

ヨーロッパにもノブレス・オブリージュという概念がありますが、
果たして「自分の家督を潰してでも」というまでの壮絶な覚悟は、そこにあったでしょうか。
磯田が、あえて題名を『無私の日本人』とした意味が痛いほどわかります。

小説というのは、歴史小説以外は所詮作り話です。

どんなに感動的な作品でも、はっきり言って絵空事に過ぎません。
それが、私が小説を読まない理由です。

しかし、ノンフィクションは違います。

実話です。
そのような生き方をした人が、本当に実在したのです。

正月のブログ『金持ち天国ニッポン』にも書きましたが、
格差の問題はもはや待ったなしという局面を迎えています。

アメリカはもっと深刻です。
“社会民主主義”を掲げて「富の再分配」を訴えるバーニー・サンダースが、
民主党の大統領予備選挙で大健闘するなど一体誰が予想したでしょう。

共和党候補のトランプを支持しているのは、プアホワイトと呼ばれる白人の低所得者層です。
まさに、貧しい人々が歴史を変えようとしているのです。

“中道派”が多数を占めているはずのニューハンプシャー州の予備選で、
極左と極右が勝利するという、驚愕の事態が出現しました。
格差への不満の高まりは、もうアメリカの安全弁を吹き飛ばす寸前まで来ているのでしょうか。

今こそ、真剣に考えるべき時が来ています。

この社会が、本当に私たちが望んでいた「豊かな社会」なのかと。

なお、この話は『殿、利息でござる!』という題名で映画化され、今年の5月に封切りとなるそうです。

でも私は、映画館に行こうとは思いません。
だって、人前で涙を流すのは嫌ですから。

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