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5☆s 講師ブログ

3つの願い

ニカって誰?
ホレス・シルヴァーに『ニカズ・ドリーム』という曲がありますが、ずっと気になっていました。

不勉強な私に答えを教えてくれたのは、植草甚一のエッセイでした。

パノニカ、本名パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーターは、

当時のジャズメンのパトロンとなっていたお金持ちの女性です。
ロスチャイルド財閥のイギリス家系に生まれ、フランス人男爵と結婚するという、
まさに絵に描いたようなセレブです。

彼女がジャズの魅力にハマったいきさつというのが、またすごいのです。

パノニカの兄ヴィクターは、第二次世界大戦中、チャーチルの個人的な密使として、
たびたびルーズベルトの元に派遣されます。
その都度、以前からピアノのレッスンを受けていたデューク・エリントン楽団の
テディ・ウィルソンの門を叩くのを忘れなかったことが、きっかけだというのです。
登場人物の名前を目にするだけで、我々庶民とは住む世界が違うなと感じてしまいます。

多くのジャズメンが、この男爵夫人を心から慕い曲を捧げました。

セロニアス・モンクのそのものズバリ『パノニカ』はじめ、ケニー・ドリューの『ブルース・フォー・ニカ』、
ケニー・ドーハムの『トニカ』、ソニー・クラークの『ニカ』など、その数はなんと20曲にも及びます。
もし彼女のサポートが金銭面だけであったならば、これほどの尊敬と敬愛を受けることはなかったでしょう。

こんなエピソードがあります。

うつ状態にあることを知りながら泊めてあげていたバド・パウエルが行方不明になった時、
数日間にわたりニューヨーク中を探し回ります。
また、コールマン・ホーキンスが倒れた時には、医者には絶対行かないという彼の自宅にせっせと通い、
献身的な看病をしながら冷蔵庫を食べ物でいっぱいにしたのでした。

そんな彼女が、ジャズメンたちに「願いを3つ挙げるとしたら?」と尋ね始めたのは60年代初め。

300人の願いが収められた『ジャズミュージシャン、3つの願い』は、実に興味深い本です。

ここでは、真っ先に挙げた1番目の答えに注目してみました。

もちろんミュージシャンですので、モンクのように「音楽的に成功すること」という類が多い中、
アート・テイラーの「チャーリー・パーカーが生きていること」という変わったものもあります。

ただこれは、今や伝説となっている

“パーカーが雷鳴とともに息を引き取った”のがパノニカのアパートだったことから、
多少のおべんちゃらも含まれているように思います。

「マネー」をあげたのは、ソニー・ロリンズやソニー・クラーク。

ハンク・モブリーとフィリー・ジョー・ジョーンズに至っては、
「カネ、カネ、カネだ!」と連呼しています。

ジャズファンでなくても知っている、あの名曲『モーニン』の作曲者ボビー・ティモンズは

少し控え目で「多少のカネ」。
ウイントン・ケリーも「いくらかカネを稼ぐこと」ですが、2番目の願いは「もっと稼ぐこと!」です。

チャールズ・ミンガスの場合はちょっと複雑です。

「オレには願いごとはない!全くない。
・・・そりぁ請求書の支払いに足りるカネを持ってても困らんだろうが、でもほんとにそれだけあればいい。
・・・・・オレは変わったんだ」

別にジャズメンがカネの亡者という訳ではありません。

ジミー・コブの願いが、その真意を表しています。
「ミュージシャンが、働いたときに得られてしかるべき報酬を得ること」。

50年代から60年代にかけて、多くのジャズメンは麻薬漬けとなっていました。

チャーリー・パーカーなどは、麻薬の売人の名前を冠した曲まで作っているほどです。
彼らは麻薬代欲しさのあまり足元を見られ、たとえわずかの報酬であっても
楽器を手にせざるを得なかったのです。

そういう意味では、バド・パウエルの願いは切実です。

「医者に診てもらったり、病院に行ったりしなくていい状態」。
ミンガスの「オレは変わった」という言葉は、
もしかしたら麻薬をやめたということなのかもしれません。

「カネをどっさり稼ぐこと。で、それを賢く使う」

と言っていたリー・モーガンの願いは、残念ながら途中までしか叶いませんでした。

レコーディング中突然閃いたメロディーをトイレットペーパーに書き付けたという

『サイドワインダー』が大ヒットし、カネをどっさり稼ぐことはできました。

しかし、賢く使うどころか、すべてを麻薬につぎ込んだ挙げ句、
愛人に拳銃で胸を撃ち抜かれるという悲劇的な最期を迎えてしまいます。

さらに、麻薬の他にもうひとつ、大きな困難がありました。

人種差別です。

ケニー・バレル「人種的偏見がなくなること」

キャノンボール・アダレイ「人種差別が、この地球上のすべての場所から取り除かれることを願う」
マイルス・デイヴィスは、皮肉たっぷりに、たったひとつの願いしか挙げませんでした。
曰く「白人になることだ」

映画『ゴットファーザー1』にこんなシーンがあります。

マーロン・ブランド扮する昔気質の任侠、ヴィトー・コルレオーネが
「麻薬はギャンブルよりずっと危険で、善良な市民生活を破壊するから扱うべきではない」
と進言したのに対し、他のボスがこう言い放ちます。
「それじゃあ、ニガーにだけ売れば?」

なんということでしょう。

当時黒人は“市民”ではなかったのです!
多くの黒人ジャズメンが苦しんだ麻薬という困難も、
そもそもは人種差別がもたらした弊害のひとつと言えるでしょう。

75歳の誕生日を目前にして亡くなったパノニカの最後の願いは、

「私の遺灰はハドソン川に撒いてほしい、深夜零時頃に」というものでした。
なぜ“深夜零時頃”なのでしょう?

かつてパノニカが外交官夫人でもあった頃、

あまりに堅苦しい生活に嫌気がさしニューヨークに逃げ出します。

さんざん遊んで、さぁこれからいよいよメキシコシティに帰ろうかという矢先、

テディ・ウィルソンから素晴らしいレコードがあると紹介され、
20回も繰り返し聴いているうちにとうとう飛行機に乗り遅れ、
そのまま3カ月も腰を落ち着けてしまいました。
その曲こそセロニアス・モンクの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』です。

この頃のパノニカは、駆け引きに満ち溢れたうわべだけの社交界に辟易すると同時に、

ジャズメンたちの人間的な温かさに心の底から安らぎを得ていたのです。

後にパノニカは、晩年のモンクとそして100匹の猫と一緒に暮らしますが、

なんとその家には彼の正妻も同居していました。
男女の恋愛感情を超えた人間愛などというと、あまりに嘘くさいのでやめておきましょう。

ところで、パノニカという風変わりな名前は、

蚤のコレクターでもあった父親が発見した新種の蝶の名前です。
親バカぶりが窺えますが、後年の研究により蝶ではなく蛾の仲間であることが判明します。

しかし、蝶とか蛾とか区別すること自体がもはや何の意味もないことだと、

私たちに教えてくれたのもまたパノニカでした。

キング牧師はあの有名な「私には夢がある」というキャッチフレーズで、

すべての人々が平等な社会の実現を訴えました。

『ニカズ・ドリーム』が何なのか、なんとなくわかるような気がしませんか。

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