ある講師が、マネージャー研修でこんな課題を出したそうです。
「あなたが今まで、部下育成にもっとも成功した事例を教えてください。
いつ、どんな場面で、その部下がどう育ち、
そのときあなたはどんな支援をしたかまで詳しく書き出してください」
しかし、意外な結果となってしまいました。
実績のあるマネージャーほど書けないというのです。
彼らは口をそろえてこう言います。
「優秀な部下がたまたま私の下で、勝手に育っただけ」
これをきっかけに、「育てる」ということの意味を考えてみました。
私は、上司や先輩の背中を見て学んだ世代です。
丁寧には教えてもらえないので、見よう見まねで失敗を繰り返しながら仕事を覚えました。
そのときの苦い経験の反動で、自分が後輩を指導する立場になったときは、
逆に「教え魔」になるほど手取り足取り丁寧に教えてあげました。
その結果、教えられない限り自分では動かない後輩が出来上がりました。
彼らは、困難に直面するとすぐに、有効な解決策を聞きにきます。
その方が早いからです。
もっとも最近は、質問することさえ出来ずに、一人で悩んでしまう新人も多いようですが。
いずれにせよ、自分の頭で考えることをせず、一刻も早く正解を知りたがります。
しかし、そのリクエストに応えて正解を「教えた」としても、それは「育てた」ことにはなりません。
“教育”という漢字は、「教え育てる」と書きますが、
「教える」ことと「育てる」ことはなんとなく違うような気がします。
しかし、どこがどう違うのかと言われると、正直よくわかりません。
そんなことを考えながら電車に乗ったら、目の前に本の広告がありました。
題名は『子育てのコツ』。
そういえば、「子育て」とは言いますが、「子教え」とは言いません。
なぜなのでしょう?
思うに、「育てる」という言葉には、“成長”という意味が含まれているのではないでしょうか。
子育ての場合は、どうしても体が大きくなるという身体的な成長の方に目がいってしまいますが、
もちろん精神的というか内面的な成長も含まれます。
では、「教える」という言葉はどうでしょうか?
教えられたことを完璧に出来るようになることを、“学習”と言います。
その昔、ワープロなるものが世の中に出現したとき、その「学習機能」が話題になりました。
入力したワードを漢字変換したときに、それをソフトがちゃんと覚えていて、
次回からはその漢字を最優先で表示するというものでした。
今では、あまりに当たり前すぎる機能ですが、当時は驚きをもって迎えられました。
しかし、ワープロが最適な漢字変換を“学習”したからといって、“成長”したことにはなりません。
つまり、「ワープロを教育した」とは言えても、「ワープロを育成した」とは言えません。
もしかしたら、私が後輩を指導していたときのあの教え方は、
ワープロに漢字変換を教えるのと似たようなものだったのかも知れません。
バソコンソフトは、指示したことはミスなく実行します。
しかし、指示していないことはやりません。
指示されてもいないのに、ソフトが自主的に最適な解決策を模索することはありません。
そう考えると、後輩を指導する際にゴールとして設定すべき目標は、
「仕事の手順を間違えずに短時間で遂行する」ということではなく、
「試行錯誤しながらも、自分で解を見出そうとする能力を発達させる」ことだったのです。
これを、指導される側に立って考えてみましょう。
教えられたことを間違いなく遂行できたとしても、それは自信には繋がりません。
なぜなら、教えられていないことには、全く対応できないからです。
しかし、教えられていないことに対しても、自分なりに創意工夫して
解決への道筋を見出したときには、かなりの自信になります。
その時、自分は“成長”したと実感するのではないでしょうか。
ところで、いつからこのような「教える」指導方法が、OJTの主流になってしまったのでしょうか。
ITの導入に伴い、盛んにオフィスの効率化が叫ばれるようになりました。
この“効率化”というキーワードがクセ者だったような気がします。
部下育成に関しても、当然効率化が求められます。
OJTの指導員には、「効率的な教え方」マニュアルが配布されたりしましたが、
そのゴールは「一日も早く、一人前の仕事がこなせるようにする」ことでした。
しかし、今振り返ってみると、このゴールの設定自体が間違っていたのです。
これは、一人前のワープロソフトを作るときのゴール設定です。
一方、「効率的な育て方」はマニュアル化されませんでした。
なぜなら、それは誰にもわからないからです。
もともと、様々な試行錯誤を繰り返しながら、体験の中から学び取るという作業には、
効率化という概念はなじみにくいものです。
それでもなお、私は思うのです。
「育てる」ことにも、必ずや近道があるはずだと。
私たちの意識を「教える」から「育てる」に変えることによって、必ずや何らかの変化が起こるはずだと。
こんな風に書くと、
「じゃあ、その近道とやらを教えてください」
という声が聞こえてきそうです。
管理職もまた、自分の頭で考えることをせずに、
手っ取り早く正解を知りたがる時代になってしまったのかもしれません。