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5☆s 講師ブログ

ただ食べるため

何気なく見ていたテレビ番組が、私の時を止めました。

朝から、立ち飲みのおでん屋でカップ酒を飲んでいる中年男性に、テレビクルーがインタビューしています。
夜勤でほぼ一晩中立ちっぱなしの警備の仕事が終わり、これから帰って寝るのだと答えます。
年齢は私と同じ、世間ではそろそろ定年を迎える年です。
そしてナレーションが続きます。

40代でリストラされ、その後はただただ食べるため、家族を養うために必死で職を転々としてきた。
このおでん屋で2杯のカップ酒を流し込むのは、その後何も考えずひたすら泥のように眠るため。
男はほんの一瞬ですが、寂しそうな微笑を浮かべました。

私の時が止まったのは、「食べるため、家族を養うために必死に働いてきた」という言葉を聞いた時です。
私たちの世代にとって、働く目的とはまさに食べること、家族を養うことでした。

「キャリア」という聞き慣れないカタカナが登場したのは、管理職になってしばらく経った頃でした。
不思議なことに、この言葉が脚光を浴びたのは、選り好みできるほど仕事があったバブルの頃ではなく、
その後に続いた恐ろしく長い不況期でした。

まさに、企業が「リストラ」という、禁断の果実に手を伸ばさざるを得なかった時期と重なります。
人事部門は、あたかもこの不幸な決断の免罪符であるかのように、
突如として「キャリア」という輸入語を発信し始めました。

しかし、そもそも日本と欧米では、キャリアに関する考え方が、根本的に違うような気がします。

欧米では、例えば経理部門で人員が不足すれば、必要な人数だけ経理のできる人を採用します。
営業部門でも、企画部門でも同様です。
その部門の仕事をこなせるだけのキャリアを持った人を、必要な数だけ採用します。

しかし、日本は違います。

とりあえず新卒をまとめて採用します。
それから配属先を考えます。
そして、何年か経ったらジョブローテーションで配置転換します。
結果、守備範囲は広いけれど、ひとつとして専門分野を持たないビジネスパーソンが出来上がります。

よしんば、ひとつの部門に長い期間勤務したとしても、
その会社ならではのルールに準じた専門家なので、他の会社で通用するかどうかは誰にもわかりません。

社外で通用するかは全く不明な、社内における職務経歴の数々。
異業種の人との会話では黙して語らないくせに、社内の飲み会では時として自慢気に披露されるもの。
それこそが、この国の「キャリア」の正体です。

一方、社員の側にも問題はありました。
定年まで雇ってくれるだろうという、何の根拠もない安心感にもたれかかり、
自分がどうなりたいかなんて、考えることもなく時は過ぎていきました。

私が若かった頃、全く畑違いの部門に異動を命じられた先輩が、思わずこう叫んだのを覚えています。
「会社はオレを、どう育てようと思っているんだ!」

そうです。
当時、キャリアプランというものは、会社が考えるべきものだったのです。
私たちは、そのベルトコンベアーに乗ってさえいれば、終着駅の定年まで運んでもらえたのです。

だからみんな、定年退職の挨拶でこう言うのです。
「無事、勤め上げることができました」

“無事”とはどういう意味でしょう。
まさに、“不祥事を起こさなかった”という意味に他なりません。

しかし、悪いことさえしなければ定年まで安泰という、社員と会社との蜜月関係は、
残念ながらバブルの泡と共に弾けてしまいました。
それ以来私たちは、自分のキャリアプランを自分で考えなくてはならない事態に陥ってしまったのです。

しかし、そのひとりよがりのキャリアプランを、会社が受け入れてくれる保証はどこにもありません。
なぜなら、会社にとっては、本人が希望した部門において戦力になるという確信が持てなければ、
簡単には異動させられないからです。

おでん屋の男をきっかけに、自分自身のことを振り返ってみました。
私の場合は、研修講師という、人よりちょっとだけ得意だと勝手に思い込んでいたスキルがあったことが幸いしました。
もちろん「キャリア」なんて言えるほどたいそうなものではなかったし、やっていける自信もありませんでした。

では、なぜ転職したのかというと、今やらなかったらきっと後悔するだろうと思ったからです。
若いうちはやってしまったことを後悔するが、年をとるとやらなかったことを後悔する、と聞いたことがあります。

思うに、キャリアプランというのは、ああなりたい、こうなりたいという希望によってではなく、
こうしなかったらきっと後悔する、という強い思いに突き動かされることによって実現するものではないでしょうか。

ただ食べるため、家族を養うために必死で働き、泥のように眠るためだけに朝からカップ酒を煽る男。
この男性と、私との間に、一体どれほどの差があるというのでしょうか。
もし、いくつかの幸運に恵まれなければ、テレビに映っていたのは、私の方だったかもしれません。
とても他人事とは思えませんでした。

なぜ働くのか?
食べるため、家族を養うためという大原則は、今も昔も変わりません。

しかし現代は、それにプラスアルファの意味づけまで要求されるのです。
それが、日本という国が豊かになったからなのか、貧しくなったからなのか、
あるいはもっと他のところに理由があるのか、私にはよくわかりません。

ただ、そのような時代が訪れたということは、恐らく何か意味のあることなのでしょう。

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