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5☆s 講師ブログ

乃木将軍

乃木希典と言えば、あの203高地の戦いで有名な名大将です。

日露戦争における海軍の戦いのクライマックスが、バルチック艦隊との「日本海決戦」とするならば、
陸軍のそれは、間違いなく壮絶な203高地の攻防です。

旅順要塞を制圧せよとの命を受け、乃木将軍は堂々と正面突破を図ります。
しかし、3回にも及ぶ総攻撃はことごとく失敗し、甚大な被害を出してしまいます。
軍の上層部では、将軍更迭論まで出ていたそうです。

そもそも、なぜこのような命令が下ったかというと、原因は海軍にありました。
要塞が守る港には、旅順艦隊が停泊していました。
バルチック艦隊には及びませんが、アジアに睨みを利かす旅順艦隊は
日本海軍にとって相当な脅威だったのです。
そこで陸軍に働きかけ、要塞の陥落作戦を実行させたのです。

ということは、たとえ要塞を陥落できなくても、艦隊に打撃を与えればよいということになります。
そこで、失敗続きの乃木将軍に対して、
湾内を見渡せる見晴らしのよい高台、すなわち203高地を制圧せよという命令が下ったのです。
これが歴史に残る戦いの背景です。

結果は、みなさんよくご存じのとおり、大激戦の末に日本軍は制圧に成功しました。
しかし、その時、占領した高台から見下ろした湾内の風景のことは、
歴史の暗部として長い間封印されてきました。

なんと、湾内にいるはずの旅順艦隊はすでに全滅していたのです。
戦艦はほとんどが大破し、大砲も水兵もすべて陸揚げされていました。
つまり、203高地を占領する意味はまったくなかったのです。

なぜこんなことになったのでしょう。
実は2か月以上前に、永野修身という海軍中尉が、山越しにどんどん大砲をぶっ放していたのです。

もちろん、やみくもに撃っていたのではありません。
放物線を描いて落下する弾の着弾位置を綿密に計算しては、大砲の角度を調節し、
海面を網の目状に区分けして、毎日ひとマスずつ塗りつぶすように撃っていたのです。

ですので、乃木将軍が総攻撃を決断する1か月以上前には、
肝心の旅順艦隊はすでに壊滅していたのです。

笑い事ではありません。
この戦いで戦死した日本兵は2万人に及びます。
いったい何のために、2万もの人が命を落とさなければならなかったのでしょうか。

更に問題なのは、この後です。
政府は日露戦争に勝利したと言っても、ロシアの復讐戦を恐れていました。
そのため、国民に向けて国威発揚を継続しなければなりませんでした。

そこで、この間違いとしか言いようのない203高地の戦いを、美談にすり替えたのです。
乃木希典は、稀代の英雄として祭り上げられ、2階級特進して伯爵にまで昇り詰めました。

別に、乃木将軍の名誉を汚そうとしているわけではありません。
彼は、軍人らしく命令に忠実に従っただけなのです。

重要なことは、世の中に語り継がれている史実の中には、
時の権力者の都合のよいように随分と歪められてしまったものもあるということです。

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