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5☆s 講師ブログ

ジャーナリズムの耐えられない軽さ

伝統あるプロ野球球団が内紛でもめています。

突然、球団幹部が内部告発しました。
その親会社の新聞社は、この事件を徹底的に黙殺します。

報道するのは、他の新聞社やテレビ局だけでした。
これが、他の球団だったらどうでしょう。
たとえば電鉄会社や食品会社だったら、これほどまでにセンセーショナルに
報道したでしょうか。
何か、日頃の憂さ晴らしをしているようにさえ感じられました。

私が思うに、この問題は一プロ野球球団の内輪もめという単純なものではありません。
その親会社がマスコミであることから、報道機関の報道姿勢が問われる事案です。

なぜなら、ひとりの老人が球団運営のすべてを取り仕切っており、
しかもその人物は、大新聞社の主筆なのです。
この構図は、もしかしたらその報道機関の支配構図にもつながっているかもしれないからです。

私の心配は現実のものとなりました。
ついに親会社は当事者に1億円損害賠償請求訴訟を起こすと同時に
なんと朝刊の一面すべてを使っての反論記事を掲載したのです。

これには本当に驚きました。
ひとりの「私怨」を晴らすために、公共性の強いマミコミがここまでやるのかと。
まさに、「日本のジャーナリズム」という存在の、耐えられない軽さを象徴する出来事でした。

最後に、ジャーナリズムとは何かを問うような出来事を紹介したいと思います。

1993年、スーダンは大飢饉に見舞われていました。
ケビン・カーターというカメラマンが、飢えのため地面に蹲る少女を、
上空のハゲワシが狙っている場面をカメラに収めました。

この写真がニューヨーク・タイムズの一面に掲載されるや否や、
多くの寄付がよせられ、飢餓救済のための大きなうねりとなったのです。
この写真一枚で、どれほど多くの飢えた人々が救われたか知れません。

しかし、一方で、なぜ彼は少女を助けなかったのかという批判も強まりました。
そして翌年、この写真がピューリッツア賞をとると、
論争はやがて「報道か人命か」というテーマに移って行きます。

この論争は、ピューリッツア賞の1カ月後に、唐突に終止符がうたれます。
ケビン・カーターが自ら命を絶ったのです。
真のジャーナリストとは、いつもギリギリの場面で、己の使命と向き合いながら苦闘しているのです。

日本とアメリカにおけるジャーナリズムの差は、いったいどこからくるのでしょう?
日本のマスコミに勤務するサラリーマンだって、もともとは優秀な人ばかりです。
ぜひ、今一度、ジャーナリズムとは何かという青臭い議論を望みたいものです。

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