講師ブログ

記者クラブという奇妙な制度

2012年02月04日

国会や政府の建物、また地方自治体には記者クラブというものがあります。
大手新聞社や地元の新聞社がそのメンバーです。
ですので、当局が記者会見を行う場合、原則としてそのメンバーしか入ることは許されていません。

新聞社同士の取材合戦がエスカレートすることを防止するためでしょうが、
反面、雑誌記者やフリーのジャーナリストたちを排除する既得特権でもあります。
そして、当局の発表を何の検証を行うことなく垂れ流すという構造をもたらしました。

なぜ垂れ流すかというと、当局に批判的な記事を書くと、記者クラブから締め出されるからです。
沖縄の防衛局長の問題発言の際触れた、「書いたら出入り禁止」というあのことです。

国会や官邸などで、記者クラブに所属し特権的に取材することを許されている記者たちは、
よくぶら下がりという取材をします。

政治家が廊下を歩く時に、一緒に歩調を合わせながら質問を浴びせるのです。
このとき、大変珍しい光景が見られます。

「メモ合わせ」といって、一部の記者が聞いた政治家の談話を記者全員で共有するのです。
なぜなら、政治家のすぐ隣にいた記者と、ずっと後ろにいた記者では
聞き取る情報量が異なるため、書く記事の内容に違いが生じることを防止するためです。

メモ合わせをして発言内容を確認し、全員が同じ情報を得るようにするのです。
ですので当然、どの新聞もまったく同じ記事が掲載されることになります。

事件記者は別として、政治に関しては、記者クラブには取材合戦は存在しません。
みんなが平和に横並びで、政治家のいったことを忠実に記事にしているだけなのです。
メモ合わせまでして・・・

大本営発表の頃と少しも変わっていないと思うのは、私だけでしょうか。

もちろん、アメリカに記者クラブなどという制度はありません。
というより、この制度が設けられているのは、世界広しと言えども、
日本とアフリカのジンバブエだけなのです。

外国人記者は日本に派遣されると、例外なくこの大変奇妙な制度に首を傾げますが、
それも一時のことです。
日本を去るころには、すっかり日本のジャーナリズムに絶望して帰国するのです。

EUは毎年のように、この閉鎖的な制度を廃止するよう日本に勧告しています。
しかし新聞は、日本特有の貿易習慣や、参入障壁についてはよく記事にしますが、
この奇妙な取材障壁について記事にしたことは、いまだかつて一度もありません。


ジャーナリズムの耐えられない軽さ

2012年01月29日

伝統あるプロ野球球団が内紛でもめています。

突然、球団幹部が内部告発しました。
その親会社の新聞社は、この事件を徹底的に黙殺します。

報道するのは、他の新聞社やテレビ局だけでした。
これが、他の球団だったらどうでしょう。
たとえば電鉄会社や食品会社だったら、これほどまでにセンセーショナルに
報道したでしょうか。
何か、日頃の憂さ晴らしをしているようにさえ感じられました。

私が思うに、この問題は一プロ野球球団の内輪もめという単純なものではありません。
その親会社がマスコミであることから、報道機関の報道姿勢が問われる事案です。

なぜなら、ひとりの老人が球団運営のすべてを取り仕切っており、
しかもその人物は、大新聞社の主筆なのです。
この構図は、もしかしたらその報道機関の支配構図にもつながっているかもしれないからです。

私の心配は現実のものとなりました。
ついに親会社は当事者に1億円損害賠償請求訴訟を起こすと同時に
なんと朝刊の一面すべてを使っての反論記事を掲載したのです。

これには本当に驚きました。
ひとりの「私怨」を晴らすために、公共性の強いマミコミがここまでやるのかと。
まさに、「日本のジャーナリズム」という存在の、耐えられない軽さを象徴する出来事でした。

最後に、ジャーナリズムとは何かを問うような出来事を紹介したいと思います。

1993年、スーダンは大飢饉に見舞われていました。
ケビン・カーターというカメラマンが、飢えのため地面に蹲る少女を、
上空のハゲワシが狙っている場面をカメラに収めました。

この写真がニューヨーク・タイムズの一面に掲載されるや否や、
多くの寄付がよせられ、飢餓救済のための大きなうねりとなったのです。
この写真一枚で、どれほど多くの飢えた人々が救われたか知れません。

しかし、一方で、なぜ彼は少女を助けなかったのかという批判も強まりました。
そして翌年、この写真がピューリッツア賞をとると、
論争はやがて「報道か人命か」というテーマに移って行きます。

この論争は、ピューリッツア賞の1カ月後に、唐突に終止符がうたれます。
ケビン・カーターが自ら命を絶ったのです。
真のジャーナリストとは、いつもギリギリの場面で、己の使命と向き合いながら苦闘しているのです。

日本とアメリカにおけるジャーナリズムの差は、いったいどこからくるのでしょう?
日本のマスコミに勤務するサラリーマンだって、もともとは優秀な人ばかりです。
ぜひ、今一度、ジャーナリズムとは何かという青臭い議論を望みたいものです。


ガラパゴス・ジャーナリズム

2012年01月23日

沖縄の防衛局長発言と同じで、オフレコが世に出てしまった事案があります。
それは、震災復興担当大臣が地元の首長を訪問した際、
応接室で待たされたことに腹を立て、怒鳴り散らしたというあの事件です。

このとき大臣は、取り囲んだ記者たちを睨みつけて
「いいか、絶対にオフレコだぞ!、もし書いたらその社は終わりだぞ!」とすごんで見せました。

当然のことながら、全メディアが沈黙を守りました。
なぜなら、もし報道してしまったら、終わりになることはないにしても、
今後の取材で相当な報復を受けることが明らかだったからです。

そんな中、勇気を持って報道したのは仙台のテレビ局でした。
震災で被災した一員として、この発言は許せないという判断です。
すると、今度は手のひらを返したように一斉に報道合戦です。

こうなると、メディアで大臣を弁護する人は皆無です。
まるで悪人扱いです。
さっきまでその悪人の行動については、ひたすら沈黙を守っていたくせに・・・

報復が予想されるときは報道しない。
オフレコという約束ならばどんな暴言も報道しない。
しかし、誰かがいったん報道してしまうと、今度は正義面して徹底的にたたく。
これこそ、日本特有のガラパゴス・ジャーナリスムです。

そもそもアメリカでは、オフレコなどという概念はありません。
すべての人は、自分の発言に責任を持たなければなりません。
日本のように「外務省筋」とか、「政府高官」などというあいまいな表現はあり得ないのです。
ですので、記事にする記者もまた匿名ということはあり得ません。
どんな小さな記事でも、すべて自分の名前を署名しなければなりません。

ベトナム戦争時代のワシントン・ポスト紙に、こんな逸話が残されています。
当時の国務長官キッシンジャーが、記者にある重要な機密情報を打ち明けました。
しかし記事にするには、ひとつの条件がついていました。
それは、「絶対にニュースソースは明らかにしてはいけない」ということでした。

当時の編集主幹のブラッドリーも、大スクープなのでぜひ記事にしたいと思いましたが、
当紙はすでに、誰から提供された情報なのか、特に公人の場合は
必ず明らかにしなければならないというルールがありました。

記者はキッシンジャーに交渉に赴きましたが、逆ギレされる始末。
しかし、彼は粘りに粘って「政府高官」というクレジットならOKというところまでこぎつけました。
ところが、ブラッドリーはそれでも納得できず、今度は直接交渉を始めましたが、
条件が変わるはずがありません。

ついにブラッドリーは、「政府高官」というクレジットで記事にせざるを得ませんでした。
当然キッシンジャーの名前は全く出てきません。
しかし、その記事には1枚の写真が掲載されており、「政府高官」というキャプションでしたが
それは国民がよく知っているキッシンジャーのものだったのです。
これがアメリカのジャーナリズムです。

日本との差異はどこにあるのか、私なりに考えてみました。
やはりジャーナリストとしての「信念」の違いと言うしかないように思えるのですが、
みなさんはいかがお考えですか?


オフレコ

2012年01月16日

先日、沖縄防衛局長が不適切発言で更迭されました。
マスメディアは、沖縄県民の心を踏みにじる発言として徹底的に批判しました。

そんな中、ある大新聞が疑問を投げかけました。
それは、あの発言を明るみに出してしまったことは、はたして正しかったのかということです。
どういうことかというと、あの発言は「オフレコ」を前提としたものだったからです。

オフレコというのは、絶対に報道しないという約束のもとで本音を語ることです。

今回この約束を破って記事にしたのは、沖縄の新聞社でした。
いくらオフレコと言えども、絶対に許せないという判断に立ち、
「出入り禁止」という報復圧力をかけられながらも、あえて報道したのです。

これをきっかけに、大手マスコミは他社に遅れをとってはいけないとばかりに
今度は一転して大競争を繰り広げます。

もし地元新聞社が報道しなかったら、国民はこの問題を知るよしもありませんでした。
まさに報復を恐れなかった新聞社の勇気が、真実を知らせてくれたわけですが、
つい数ヶ月前にも、震災関連でまったく同じケースがあったことを覚えていますか?


ジャーナリズム

2012年01月09日

昨年末、オウム真理教の関係者の裁判がすべて結審したと報道されました。
その日、ある新聞社のサイトに気になる記事が載っていました。

この新聞社は、地下鉄サリン事件の起きた年の正月、
富士の教団施設の近くでサリンが検出されたことをスクープしたのですが、
そのことについての記事でした。

曰く、「教団の報復も予想される中、勇気を持って記事にした」と
自画自賛する内容です。

私は、強い違和感を覚えました。

というのは、新聞記者は記事を書くとき、報復の有無を考慮に入れていることになります。
額面どおり受け取れば、かなりの確率で報復が予想されるときは、
記事にしないこともあるということになります。

これはどういうことでしょう。
私たちが毎日読んでいる新聞に書かれていることは、
記者が報復されることはないと判断した事案ばかりということでしょうか。

もちろんこの新聞社を責めるのは間違っています。
なぜなら、他の新聞社だってある程度サリン検出の事実は把握していたはずだからです。

そして、正月に報道されてから、その年の3月に地下鉄サリン事件が起こるまで
サリン検出を後追いすることもなく、ただただ静観しているだけでした。
まさにこの記事の言うとおり、報復を恐れていたのかもしれません。

ジャーナリストとは、どのような圧力を受けても真実を報道する使命を帯びている人だと思います。

今回のこの記事が浮き彫りにしたのは、新聞記者の多くはジャーナリストなどではなく、
マスコミという大企業に勤務する、単なるサラリーマンだという現実でした。

私にとってそれは、オウム真理教の事件以上に、背筋が寒くなる出来事でした。


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