講師ブログ
猫ひろしさんのオリンピック
2012年05月11日
先日、国際陸上競技連盟が、猫ひろしさんの五輪参加資格を満たしていないとの判断を下し、
猫ひろしさんのオリンピック出場は不可能になりました。
やはりそうだよねと思いました。
それぞれの国を代表するスポーツマンやポーツウーマンのうち、
もっとも力のある方が代表に選ばれ、オリンピックの場で競い合うのが本来の姿です。
出場するのに意義があるという意見もあるでしょうが、
やはり世界一をめざして鍛え抜かれたアスリートが戦う場です。
自分の記録がカンボジアではトップクラスだから
カンボジアの国籍を取ればオリンピックに出場できるのでは・・・
といった安易な考え方は、良くないなと思ってました。
今回の国際陸連の判断は妥当なものだと思います。
お笑いの方々やマスコミは面白がっていましたが、
お笑いのネタと今回の騒動は別だと思います。
自分がカンボジア人だったら不愉快だと思います。
また、たとえばサッカーでは、ブラジルの人が日本国籍を取って日本人として代表に選ばれた例もありますが、、
彼らは日本語を話し、少なくても日本で何年も選手として活躍していました。
それに比べて、猫ひろしさんの行動はあまりにも安易だと思います。
一日30キロを走りこむほどのエネルギーを、お笑いのスキル向上に注いでほしいなと思います。
でも少なくとも彼はこの騒動で有名になりました。
これからもマラソンの記録向上と、自分のお笑い芸人としての芸に磨きをかけていただきたいなと思います。
猫ひろしのオリンピック代表
2012年04月25日
最近、お笑いタレントの猫ひろしさんが、マラソンでカンボジア代表に選出されることで
国際陸連が参加資格を疑問視しているとの報道がありました。
1年以上居住していないことを重視しているようです。
私は、猫ひろしさんが、お笑いタレントをやりながらフルマラソンを2時間30分で
走っていることに対しては尊敬しています。
でもだからと言って、マラソンが盛んでないカンボジアならトップレベルだから、
代表としてオリンピックに出られるといった発想は良くないと思っていました。
もともと私は全く彼を知りませんでした。
しかし、マラソンブームの中、タレントですごい記録を出している人がいるということで彼を知りました。
記録はたいしたものだと思います。
しかし、実業団レベルでは全く問題にならないレベルです。
それが東南アジアのマラソンが盛んでない国に行けば、代表レベルの記録であるといった安直な発想は
かえってカンボジアを侮辱しているのではないかと思います。
少なくともサッカーの盛んなブラジルから来た選手は、日本国籍を取るために日本語を勉強し、
何年もJリーグで活躍し、苦労の末に国籍を取得しています。
猫ひろしさんは真面目な方だと聞いています。
今回の件では、彼は潔く諦め、カンボジア人に代表を譲るべきだと思います。
国籍はそんなに簡単なものではないと思います。
本当にその国を愛し、言葉を話し、一生住み続ける覚悟がある人が取得するものではないかと思います。
白モクレン
2012年04月11日
毎年3月の中旬以降、白モクレンの花があちこちで咲きます。
今年は寒いせいか、ずっと見ることができませんでした。
しかし、先週のはじめあたりからあちこちで咲き始め、やっと見ることができました。
朝走っていると、寒さを実感したり、身近に見ることのできる花や鳥の鳴き声などが気になります。
この時期、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」をいつも思い出します。
主人公由美との会話も印象的でしたが、主人公が散歩しているときに、
白モクレンを見たことを書いていたのを思い出すのです。
細かなとこは覚えていませんが、ちょうどこの時期が、
春休みで次の学年へのモラトリアム的な時期であることが、
きっと印象的だったのではないかと思います。
大人になってこの時期を迎えても、いつもバタバタと忙しく、自分なりにゆっくりと思いにふけったり、
白モクレンをのんびりと観察できるような雰囲気になれないために、昔を思い出すのかもしれません。
白モクレンを見ることによって、なんとなくそんな時期があったなと思うことだけで、
満足している今なのかもしれません。
調べてみると文庫本化されたのは昭和43年だそうです。
その頃は確か高校1年生です。
でもじっくりと読んだのは大学に合格した春休みの時期だったと思います。
きっと主人公と重ね合わせて読んでいたのではないかなと思います。
いつも走りながら、漠然と感慨にふけりながら、
すぐに過ぎ去ってしまう今の時期を感じようとしているのかなと思います。
老精神科医
2012年04月04日
人には引き際が大切だと思います。
私の親戚が適応障害と診断されました。
会社のストレスで調子を崩したようです。
付き添った家族の話では、その精神科医は40分くらい一方的に話し続けていたそうです。
内容は過去の自分の治療実績が中心で、納得のいく診察ではなかったようです。
その後、彼のうつ症状が激しいとのことで、心配になって仕事が空いた日に行ってみました。
そして今度は、家族だけでなく私も病院に付き添いました。
驚いたのは、その精神科医は80歳を過ぎていたことです。
高齢でもしっかりと治療してくれれば良いのですが、話し始めると止まりません。
前回と同じような話でした。
これではいけないと思い、私から適応障害の原因としての過重労働や上司によるパワハラを詳しく説明し、
このまま会社に行かせたら危ないと話しました。
すると、前回は通院治療と言っていたのですが、直ぐに3カ月間の自宅療養を要すると
診断書に書いてくださいました。
その後、 薬が多すぎるのではないかと奥さんや周囲が言い出しました。
そこで処方箋を見せてもらい、精神科医である友人の大学教授に判断を依頼しました。
彼の意見は、明らかに過剰投与であるとのことでした。
自分のことばかりで、人の話をあまり聞いてくれない精神科医。
たまたま私がメンタルの仕事をしており、 知り合いに専門家がいたおかげで今回は事無きを得ました。
ちなみに、この件については、その後職場のパワハラが原因だったことが判明し、
会社の努力で事態は改善され、症状も快方に向かっています。
もしかしたら、同じような事態で悩んでいる方もいるのではないでしょうか。
この老精神科医も、昔はきっと良いドクターだったと思います。
実績があればあるほど、引き際が大切だと感じました。
大川小学校の悲劇
2012年03月28日
あの震災からちょうど1年を経過した頃、宮城県に行ってきました。
東日本大震災の状況をこの目で確認しようと、以前から予定していたのです。
本塩釜まで行き、そこでレンタカーを借りました。
そして石巻市に行き海沿いの町の状況を見てきました。
河口では、テレビで見た漁船が堤防脇に乗り上げたまま、まだ残っていました。
関心があったのは大川小学校です。
テレビで見ていると、すぐ後ろに山があるのに何故逃げなかったかが不思議で気になっていました。
リスクマネジメントの研修を担当する関係上、非常に関心があることでした。
石巻から車で40分ぐらい走ったところに小学校はありました。
北上川の河口です。
橋を渡るとすぐに見覚えのある学校が見えてきました。
一面何も残っていません。
道路は土を盛り上げたような道路で、周囲はゴミが混じっている土だけです。
復興のためのダンプカーがひっきりなしに走っていました。
また学校の入り口には献花をする慰霊碑が立っていました。
10人ぐらいの方がいらっしゃいました。
無言でカメラを校舎に向けています。
学校の以前の写真が飾ってありました。
学校の裏には多くの民家があったのですが、今は何も残っていません。
すぐ後ろの山は、校舎から歩いて1分もかかりません。
登ってみると急な山道で、歩き難く、湿った土でした。
15~20メートルぐらいまでゴミが散らばっていました。
そこまで津波が来たことがわかります。
余りに急な山道だから、子供には無理と判断したかもしれません。
しかし、登れない傾斜ではないと私には思えました。
海岸沿いに女川に向かってみました。
ひどい道でした。
途中、棒を指しながら遺体の捜索?を行っている警察官が5~6人いらっしゃいました。
道は途中で無くなっており引き返さざるを得なかったのですが、
遠くに海を見たときびっくりしました。
波が高いのです。
普段でも津波のような厳しい波でした。
そして大川小学校まで2Kぐらいでした。
何故津波を意識しなかったのかと思いましたが、
そんな風に思うのは大震災があったからかもしれません。
ともかく、もしもの時はどうするか、リスクの洗い出しと対応策の検討の必要性を痛感しました。
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