講師ブログ

手紙

2012年01月31日

最近では、ほとんどパソコンで文章を書きます。
親子の間でも、夫婦の間でも、友人同士でも…なんでもメールです。

思い返せば、自分がペンを握って文章を書くなんてことは
ほとんどありません。もっとも、年賀状で「お元気ですか?」
などと一言書くぐらいはしますが。

しかし、一昨日、大阪の研修の受講生から一通のお手紙を
いただきました。研修直後からメールのやり取りは何回かあったのですが、
恥ずかしながら今月発売になった私の著書をお送りしたところ
思いがけなくお手紙をいただいたのです。

そのお手紙ですが、何枚にもわたって、私の研修の感想、そして
本を読んだ感想など一生懸命、力を込めてい書かれているのが、
便箋の筆圧からはっきりと読み取れます。

お忙しいところ、わざわざ便箋に想いの丈を書いてくださったことに
感謝、感激、感動しました。

そして、なによりメールとは全く違う、手書きの「手紙」のうれしさに
今更ながら気づかされました。

ちょっとテマヒマかかるけれど、手紙に込められた「想いの強さ」は
十二分に相手に伝わることを改めて感じています。

親の介護で忙しくて間遠くなった友人に、励ましの手紙を書こうかしら…。


コンカツ

2012年01月23日

間違えないでください。
この「コンカツ」は「婚活」ではありません。

スーツを着て、ハイヒールを履いてビジネス街をコンコン、カツカツと
闊歩する女性のことを、巷で「コンカツ」と言うそうです。

きれいなオフィスをコンコンカツカツ、颯爽と歩くキャリアウーマンは、
想像するだけで素敵で、憧れますが、しかし…

一転、絵画の展覧会などでは、静かに目の前の絵を鑑賞しようとすると
「コンコン、カツカツ」と雑音が入り、落ち着いて鑑賞できないと、
苦情が多いとのこと。

病院、博物館など、静けさが求められるところでは、履物にも心遣いする
必要があるということです。

一方、春や夏に女性が履く「ミュール」などは、駅のエスカレーターを
上り下りするときに「うるさいなー」と私は感じていました。
これをちなみに、世間では「カスタネット娘」と言うそうでして。

自分の「コンカツ」を棚に上げて、他人の「カスタネット」ばかりを責めている
自分がいることに気づかされました。

人間、自分がしている迷惑には気づかず、人からされる迷惑には強く反応する
良い例ですね。反省。


顧客感動

2012年01月10日

先日、自由が丘のとある韓国レストランでランチをしました。

落ち着いた雰囲気で、韓国料理がフレンチ風に盛り付けされ、
いつもいただく「量で勝負」の家庭的な韓国料理とは感じの違う
素敵な韓国料理でした。

そして何より感動したのは、そこの店長さんを始め、若いスタッフの
人たちの応対の素晴らしさでした。

お客様に「笑顔」で「感じ良く」は当たり前の接客の世界ですが、
そこのスタッフの人たちは、本当に自然な笑顔に加えて、
出しゃばらない「心遣い」がとても心地よく、思った以上に長居をして
しまいました。

つまり、お客様の会話の場を犯すことなく、しかし、何かあるとすぐに
対応してくれるその「邪魔にならない心遣い」が絶妙なのです。

お料理を見て楽しみ、味わって満腹し、そして、お店を出る時には
「心地よい空間」に感動して、「また、来たい」と正直思いました。

一回の食事で三倍楽しませてくれるこのお店のあり方は、まさに
顧客感動の真髄であると思いました。

論より証拠、御昼前に入ったときはお客様もまばらでしたが、
あっという間に、そこのお店は満席になりました。

それも、リピーターらしき人たちで!


年頭の決意

2012年01月05日

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

毎年のことながら、年頭の決意!と意気込んだものの、
はっきりと「これ」というものが思い当りません。

つまり、いくつか頭に浮かぶものの、しっくりとこないのです。

なぜだろう?とよくよく考えてみると、あの3.11の震災を経験したことで
私の中で、大きく何かが変化したように感じるのです。

すなわち、いかに決意を新たにし、目標を掲げて邁進しても、
あのような自然災害の前にはひとたまりもないということです。

ですから、自己の目標管理にもその裏に「危機管理」が伴わないと、
その決意や目標はもろく崩れてしまうということです。

昨年は3.11以降、想定外のことが多々発生し、本当に厳しい会社経営を
強いられたことは、経営者として大いに反省させられましたし、
学びとなりました。

東海地震といわれて久しいですが、自分の心に油断があったことは
確かです。そのことを考えると今年の年頭の決意は、
反省を込めて

「危機管理意識」を強く持って行動する

に落ち着きました。

仕事だけでなく、個人の生活においても年老いた認知症の「姑」を
抱えている現在、職場と自宅の両方の危機管理を一層強化して
働かねばと自分を戒めています。


語尾

2011年12月26日

研修で話をするとき、講師として「話の語尾」には大変気をつけています。

つまり…
・自分自身が確信もって言えることは「…です」「…であります」ときちっと
 言い切るようにしています。

・また、現時点で自分はそう思うが、確定はできないときは
 「…と言われています」とか「…とされています」などと、現状を伝え、
 語尾は「…ます、です」で終えるようにしています。

しかし…
現在読んでいるある「心理的プログラミング」の本では、とにかく、文章の語尾が
「…かもしれません」というあやふやな表現がが多くて、そのうちこの本の作者は、
何の確証もないことを本にしているのか?という不信感が芽生えてきました。

そうなると、もう、いけません。
読んでいる文章の「…かもしれません」が気になって「まただ!」と、
読み続けるのがかなり億劫になってきました。

この本を読んで、結局一番勉強になったのは、その内容より、話をするときの
語尾が「その話の信ぴょう性にかなり影響する!」ということでした。

なんとも、皮肉な結果となったかもしれません。いや、
なんとも、皮肉な結果となりました!


 


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